絵画の制作思想を発展させる事は、固定概念の壁を次々と取り壊してゆく事により、より自由な発想で制作していく事です。 それまでにない異なったものの新しい組み合わせを次々と実現していく事です。
現在でも多くの人が「絵画や美術は観たものを描くのだ」とゆう固定観念にとらわれています。
花瓶に生けられた花を描く。風景を描く。これはカメラのような制作態度と言って良いでしょう。
しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの多くの画家は、空想し思考して生み出した思想やイメージを表現して来ました。 これは、物を観るとゆう囚われから解放された状態です。 自分が閉じ込められていた狭い部屋の壁をぶち壊し、広い空間=パースペクティブを鳥が自由に飛び回るように空想をめぐらし、舞台やドラマという建造物を思考し構築するようなものです。
オディロン・ルドンが 「印象派は天井が低い」と言ったのはこの意味です。 印象派は人間の心理や無意識、思想や科学的な認識を描こうとしなかったからです。
ルドンはまた、この世に存在しない怪物を描きシュールレアリスムの先駆者となりました。 シュールレアリスムは異種のものの意外な新しい組み合わせを表現しました。
異種のものの新たな組み合わせは発明の常套手段ですが、こういった手段・遊びによっても、絵画芸術の『面白さ』や『新鮮さ』新鮮さが実現できると思います。
『面白さ・新鮮さ』は世阿弥の『珍しき』と同じ意味です。
芸術作品の制作はロジェ・カイヨワが『聖・俗・遊』と言った意味での遊びです。
ジョン・レノンが彼の歌詞に真剣に悩み、精神のバランスを崩した ファンに「あまり私やビートルズの詩の意味を真剣に受け止めるな。俺は言葉と音で遊んでいるんだ。歌詞には意味がある事もあれば無い事もある」と言った意味での遊びです。