歴史を越えて芸術の中核をなす感動体験
梅原龍三郎 桜島青

梅原龍三郎 桜島 青 写真マルセル・デュシャンに始まるコンテンポラリー・アートは、鑑賞者がより自由に思考するよう喚起をしますが、必ずしも感動体験を与えるものではありません。しかし、私は歴史を越えて芸術の中核をなすものが感動体験 であると確信しています。

「この料理は芸術の域に達している」「この投手の投球はもはや芸術である」と言う時、この場合の芸術の意味は『厳しい修練の結果得られた高い技術に支えられた驚嘆すべきパフォーマンス』という意味です。

感動体験をもたらすものは、何よりも作者の感動する心・感動した体験ですが、多くの場合感動体験を創り出すのは『遊び』としての制作です。
ロジェ・カイヨワの『聖・俗・遊』の概念を援用すると、聖なるもの『知性や精神性、空間・空気・男性性』と、俗である『実務や肉体、物質、母性』の全体が統合された状態の心理、『精神の全体性』を表現したものが『游』であり感動ではないでしょうか。
これはC・G・ユングが「人は異性に対して精神と肉体の両方に同時に魅力を感じ愛する事ができなければならない。」と言ったのと同じ意味です。

感動は、人間が人生の途中で手に入れられる最高の体験であり、人生の目標を明示するものと言ってもよいのではないでしょうか。

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