梅原龍三郎 北京秋天
梅原龍三郎 『北京秋天』
これまでの連載では、日本美術における「余情」や「幽玄」の構造、そしてそれらを支える二人の西田(直二郎・幾多郎)の学説を紐解いてきました。

 今回はさらに日本の美意識の深層へと遡り、江戸時代の国学者・本居宣長から、近代哲学の巨人・西田幾多郎、そして日本近代洋画の巨匠・梅原龍三郎へと連なる「壮大な思想と表現のバトン」を解き明かします。

 一見バラバラに見える彼らの業績は、「理屈(主客二元論)を排し、対象の生命そのものと一体化する」という一本の強靭な地下水脈で繋がっています。

本居宣長:「漢意(からごころ)」の排除と「もののあはれ」

 江戸中期、本居宣長は当時主流だった儒教や仏教といった「外来の理屈(=漢意)」で日本の古典を道徳的に解釈する風潮を徹底的に批判しました。
彼は『源氏物語』などの精読を通じ、文学や芸術の本質は道徳的教訓ではなく、「もののあはれ」にあると喝破しました。

 「もののあはれ」とは、世の中の事象に触れたとき、心がそのまま素直に動く自然な感情のことです。
 宣長は、吉野の山桜を深く愛し、「散りゆく桜の儚さに、理屈抜きで心が揺さぶられる境地」こそが日本人の本来の心であると説きました。対象(桜)と自分(見る者)の間に理屈の壁を作らず、対象との情動的な一体化を果たすこと。これが日本美学の原点となりました。

西田幾多郎:「純粋経験」と「絶対無の場所」への昇華

 明治から大正にかけ、西田幾多郎はこの宣長の感覚を、西洋哲学の論理を用いて世界に通じる哲学へと昇華させました。

主客未分としての「純粋経験」

 西田が主著『善の研究』で提唱した「純粋経験」とは、「言葉による思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態」を指します。

 宣長が「桜を見て理屈抜きに感動する」と言った状態を、西田は「花を見る時、我というものもなければ、花というものもない。ただ花の色、花の美しさがあるだけである」という「主客未分(主観と客観が分かれる前の状態)」の言葉へと見事にスライドさせました。

西田哲学の中心にある「絶対無の場所」

 西田幾多郎(1870–1945)の哲学を代表する概念のひとつに、「絶対無の場所」があります。

 この概念が初めて示されたのは、1926(大正15)年6月に『哲学研究』へ発表された論文「場所」です。西田の思索は一般に、前期「純粋経験」、中期「自覚」と「場所」、後期「絶対矛盾的自己同一」というふうに区分されます。つまり「絶対無の場所」は後期の思いつきではなく、中期の「場所」論文で示され、その後、晩年まで展開され続けた中心概念だと言えます。

 西田は「場所」を三つの段階に分けて考えました。有の場所、相対無の場所、そして絶対無の場所です。最後の「絶対無の場所」こそ、すべての存在がそこで成立する「真の無の場所」とされます。

 これは、単純に「何もない空間」という意味ではありません。

 西田が考えたのは、私たちが普段「存在している」と考えている一つ一つの物や自己が、どのような「場」において存在しているのか、という問題です。

 つまり、「存在するもの」だけを見るのではなく、「その存在を成立させている場所・場を見る」

という発想です。

「無」は本当に何もないのか?

 この西田の考え方を日本美術から考えてみると、非常に興味深いことが見えてきます。

 日本の水墨画や障壁画では、画面のすべてを絵の具や墨で埋め尽くすのではなく、何も描かれていない「余白」が大きな役割を果たします。

 しかし、その白い空間は本当に「何もない」のでしょうか。

 例えば、一輪の花だけが白い画面の中に置かれているとします。

 白い部分を単なる「何も描いていない部分」と考えれば、それは空白です。

 しかし、その余白があるからこそ、一輪の花が際立ち、その花の存在、静けさ、生命感、そして見る者の想像力までが生まれてきます。

 余白は「無」なのではなく、描かれたものの存在を成立させる重要な空間なのです。

 ここに、西田の「場所」の思想と、日本美術の「余白」とを重ねて考える非常に興味深い接点があります。

「絶対無の場所」と「余白」は同じものではない

 もちろん、ここで注意しなければなりません。

 西田哲学の「絶対無の場所」そのものを、日本画の白い余白と同一視することはできません。

 また、西田自身が「日本画の余白=絶対無」と定義したわけでもありません。

 しかし、西田の「場所」の思想を美術的な比喩として考えるなら、

 「何も描かれていない空間が、そこに描かれたものを生かしている」という日本美術や李禹煥の構造は、とても示唆的です。

 白い紙やキャンバスは、単なる「何もない場所」ではありません。

 そこに線、色、形が置かれることによって、初めて一つの世界が立ち上がってくる。

 そして、描かれたものと描かれていないものとの関係によって、画面全体の意味や生命感が生まれてくる。

 この意味で、

「無」と「有」は対立するだけではなく、「無」が「有」を成立させる。

 この発想は、日本美術の余白・省略・暗示・余情を考える上でも重要な視点になります。

西田哲学と芸術

 ここは単なる後付けの連想ではありません。

 西田はその著作において、ごく早い時期から晩年に至るまで、さまざまな形で芸術に言及しており、「美」や「芸術」を主題的に扱った論文もあります。たとえば『ゲーテの背景』(1931)、『論理と生命』(1936)、『歴史的形成作用としての芸術創作』(1941)などです。

 西田哲学において芸術は、単に「美しい物を作ること」ではありません。

 人間と世界との関係、直観、表現、創造といった問題と深く関係しています。

 そして今日では、「場所」の立場から西田の芸術論を読み直す研究も行われています。そこでは、芸術的創造において主客対立の図式が消えていくことが、20世紀絵画の「抽象」とも通じるものとして論じられています。

 したがって、

「世界に存在する物を見る」

だけではなく、

「その物がどのような場・関係の中で存在しているのかを見る」

という西田哲学の発想は、絵画を考える上でも非常に興味深いものになります。

では、湯川秀樹の中間子理論とはどう関係するのか?

 ここには、非常に興味深い話があります。

 ただし、一般に語られている

「西田哲学の絶対無が湯川秀樹に直接影響し、それが中間子理論の発見につながった」

という説明は、史実としては断定できません。

 湯川が中間子論を初めて学会の場で発表したのは、1934年11月のことです。

 当時、湯川は大阪帝国大学の講師でした。これが論文として公刊されたのは1935年、日本数学物理学会誌に掲載された「On the Interaction of Elementary Particles. I」においてです。

 一般に「1935年の発表」と書かれることが多いのは、この公刊の年を指しています。

 中間子論が解こうとした直接の物理学的問題は、陽子と中性子を原子核の中に結び付けている核力でした。

 核力は非常に短い距離でしか働かない力です。そのため、この力を媒介する粒子には、一定の質量が必要になる。湯川はこの関係を量子論的に考え、核力を媒介する未知の粒子の存在と、その質量(電子のおよそ200倍)を予言しました。1947年、宇宙線の中にπ中間子が見つかり、この理論は実験的に裏づけられ、湯川は1949年にノーベル物理学賞を受賞します。

 したがって、中間子理論そのものを「絶対無」から導いた、と説明するのは正確ではありません。

しかし、湯川と東洋思想の関係には本当に興味深い事実がある

 ここで非常に重要なのが、『荘子』です。

 湯川は中学に入る前から、儒教だけでは飽き足らず、自分で『老子』『荘子』を読んで惹かれていました。

 そして後年、次のように書いています。

 「ずいぶん長い間、私は老荘の哲学を忘れていた。それが4、5年前、素粒子のことを考えている際に、ふと荘子のことを思い出した。そして、素粒子の奥にあるものが、さまざまな素粒子に分化する前の、まだ未分化な何物かであるのかもしれないと思った。それはいままでに知った言葉でいうならば、渾沌というものであろうかと思った」

 この文章は、1966年に刊行された『創造的人間』に収められています。本人が「四、五年前」と書いているので、時期は1950年代後半から1960年代初めごろと推定されますが、正確な執筆年は資料からは特定できません。

 いずれにせよ、これは1935年の中間子論を生み出した話ではありません。

 湯川が「混沌」を自分の構想と重ねたのは、その後の非局所場理論、そして1966年に提唱した素領域理論へと向かう、素粒子そのものの構造をめぐる思索のなかにおいてでした。

 つまり、東洋思想が中間子理論を直接生み出したというより、湯川は後年、自分の素粒子論を考えるためのイメージや言葉として、東洋思想を積極的に用いた

と理解する方が正確です。

 ただし、ここは一面的に切り捨てるべき話でもありません。「老荘思想が湯川の創造の背景や方法論に影響した」と指摘する研究者は実際にいます。それは「老荘思想から中間子論の式が出てきた」という直接の因果とは、別の層の問題として扱うのが妥当です。

 また、こちらの『GHQだけではなかった「漢字廃止論」 いま、漢字を使い続ける意味を考える』というGLOVE1+のネット記事ではこう書かれています!

 「京都大学総長の山極寿一は、ジャーナリスト池上彰との対談(週刊文春の今年の新年特大号)で、日本人で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹の「中間子理論」は、西田幾多郎の哲学に通じていると指摘。「西田哲学というのは、『間』の理論で、つまり『私とあなた』の“と”のことなんですね。これは、なかなか欧米人には考えつかない、日本的な思考の効用だったと思います」と述べている。
 
 さらに同ページでは、前の投稿記事で「芸術とは何か?美術とは何か?を考える上で、日本語は絵画、版画、芸術、美術、小説などのズバリその分野のことを指す単語が潤沢に用意されていて、漢字にひらがな、カタカナ、音読み、訓読み、擬音、オノマトベに英単語まであって、思想や理論を思考するのに、世界でもっとも精密で優れている」という私の考えを披露しましたが、同じように21世紀に入っての日本人ノーベル科学賞が爆発的に増えた要因に、日本語とそれで表現する東洋思想がある。とノーベル賞受賞者の野依良治のお話が載っています。

 「ノーベル化学賞を受賞した野依良治は、今年1月の教育新聞でのインタビューで、科学における日本語の大切さを強調している。江戸時代から、外国語を漢字翻訳したことによって「抽象概念」の理解が進み、一般人の理科の理解能力が高まったと野依はみる。「英語は外国語であり『道具』です。しかし、母語である日本語は『精神』そのものであると知ってほしい」と述べている。「日本語の知的伝達能力は圧倒的に高いので、今後も読み書きについては最大限の努力を」と訴える。」

 これは、日本の帰国子女やインターナショナルスクールの卒業生などのバイリンガルが「英語と日本語、どちらも中途半端で私は何人なのだと酷く苦しむことが多い」とやはり前投稿記事で話ましたが、同じことを言ってますね。

 実は、こういった論文を書くんでも、私自身が日本語が母国語で相当に精通しているからできるとヒシヒシと感じている次第で、『横田の音楽翻訳理論』、『横田の芸術定義』日本語が母国語でなければ思いつかなかったと思います。

「空ろな空間から粒子が現れる」というイメージについて

 ここにも、非常に面白い発想があります。

 しかし、現代物理学では、粒子を「完全な無の空間から突然生まれて、役目を終えると無へ消える」と単純に考えることはできません。

 場の量子論では、素粒子はそれぞれの場の励起として理解されます。また「真空」とは、粒子が一つも存在しない、場の最低エネルギー状態を指す言葉です。

 したがって、物理学の「真空」と西田哲学の「絶対無」を同一視することもできません。

 しかし、哲学的な比喩として考えるなら、

「目に見える個々の存在だけを見るのではなく、それらを成立させている『場』を見る」

という発想には、非常に興味深い共通性があります。

 これは、白いキャンバスに何も描かれていないからといって、そこに「何もない」わけではない。

という美術の問題とも重なります。

■ 白いキャンバスや紙は「無」なのか?

 私は、ここに日本美術を考える上で非常に重要な問題があると思います。

 真っ白な紙やキャンバスには、まだ何も描かれていません。

 しかし、そこにはあらゆる表現が可能になる場所があります。

 そこに一本の線を引けば線が生まれる。

 一つの色を置けば色彩が生まれる。

 一つの形を置けば、その形と周囲の余白との関係が生まれる。

 つまり、「何もない」ことと「何でも生まれ得る」ことは、必ずしも同じではありません。

 この意味で、白いキャンバスを「絶対無の場所」と考えることは、西田哲学そのものの説明ではありませんが、西田の「場所」の思想を美術的に考えるための非常に強力な比喩になります。

3. 梅原龍三郎と白樺派:絵画化された「行為的直観」

この西田哲学が説いた「純粋経験」を一連の作品で見事に表現しているのが、昭和に国民画家と言われた・梅原龍三郎だと感じてきましあ。彼の傑作『櫻島』や『北京秋天』は、西田哲学の視覚的証明と言っていいと思います。

 彼の絵は、『じ~~~っ!』と鑑賞していると、画面の中にある住宅に住む家族のドラマが想起さえて涙が溢れてきます。

 感動のあまり!

梅原と西田幾多郎の間に直接の師弟関係はありません。

しかし、二人を繋いだ可能性のある人脈があります。それが「白樺派」です。

西田は学習院時代に柳宗悦(民藝運動の創始者であり白樺派の重鎮)を教え、白樺派の面々は西田哲学に深く傾倒していました。同時に、梅原は白樺派の武者小路実篤や志賀直哉、柳宗悦らと深い交友関係にありました。

この白樺派という知的コミュニティを介して、「自己の生の肯定」と「直観の重視」という西田哲学の地下水脈は、梅原の芸術観へと流れ込んでいったのかもしれません。
 これには、どこを探してもそれを裏付ける証拠は見つけられませんでしたが。

西田は後に、芸術創造を「行為的直観(物となって見、物となって行う)」と定義しました。

4. 安井曾太郎との対比に見る「真理への2つのアプローチ」

梅原龍三郎の対極として、しばしば双璧と称されたのが安井曾太郎です。この二人の対比は、美術へのアプローチの根本的な違いを鮮やかに示してくれます。

 2人はともに国民画家、ライバルとして「色彩画家 天才肌の梅原」「形とデッサンを重視 秀才肌の安井」

 と言われて来ましたが、ともに、とんでもない天賦の才能をもった、血のにじむような努力をした巨匠であることに差はありません。

 安井曽太郎の方が、私にはその良さや力量が分かりづらかったです。

 実は黎明期の東京画廊の経営の苦境を救ってくれたのが安井曽太郎で、何度も個展を開かせてあげて、売れっ子画家ですから、その度の苦境を凌げたと思います。

 私が画家を志すきっかけの一つが梅原龍三郎の『櫻島 青』の絵を中一の時の角川出版の『中学 国語Ⅰ」で見て感動して泪が出る思いをしたことがあります。

 それ以来、梅原は目標であり、乗り越えた天才でした。

 この点で、山本代表とも何度もこの話をしましたが、スタンスが逆なのですよね。
 
 何かにつけて、そうだからこそ長年の付き合いになり、会談するごとにお互い、自分のないもの大いに吸収していったと思います。山本さんもそうおっしゃってくれていますし!

安井曽太郎作 奥入瀬の渓流 実は、東京国立美術館で、隣同士に並んだ梅原の『北京秋天』(写真 ページ最上段)と安井の『奥入瀬の溪流』(写真)を長時間見比べたことがありますが、

 実は時代背景から、ともに後期印象派+表現主義の写実画家なのはもの凄く共通しています。

 しかし、使用している画材や技法がまったく違います。

 簡単にいうと、梅原のは日本画で、安井のは油彩画なんです。

 恐らく、梅原の北京秋天は紙、恐らくはお気に入りの間合紙(少量生産の鳥の子紙)に、顔彩+ニカワかボンドで、『透明技法』で描かれています。
 梅原は『透明技法』の画家で、薄い層を何度も重ねていく手法と取っています。
 透明水彩技法と同じですね!
 この画集などで『デトランプ』と記載されている技法は、ホルベイン油絵具を共同開発したホルベインの技術相談社員の確認を取っていますが、『デトランプ』は顔彩を初期はボンドを薄めたものだったかもしれないが、間もなくニカワで解いて描画したもので間違いない。ということです。
 
この件の詳細についての『私の記事』があります。是非読んでみて下さい。

 アンリ・マティスもそうですが、天才色彩画家の多くが凄い絵の具を薄塗りします。そうでないと色が濁って暗くなるので。
 ゴッホのような厚塗り画家もいますが、それでも我々が思うほど厚塗りではないでしょう。

 一方安井は油彩をある程度厚塗りで、筆の筆跡を極めて高度な技術で生かして塗っています。
安井は不透明画家ですね。だから塗り重ねして、下の絵具層が見えるように生かすということはあまりしていないでしょう。

岡鹿之助 著 「油絵のマチエール」表紙 そして、この油彩の絵肌の物質性を非常に大切にした画家ですね。
 これ、油絵具でボナールやキスリング、セザンヌのような調度良い光沢のマチエールを作るというのは草食系の日本人にはもの凄く難しいことで、その辺の日本人ならではの苦労を同時代人の岡鹿之助が「油絵のマチエール」という文章にしたためています。

 油絵具は高校1年から使い始めて、40歳過ぎぐらいまで使用しましたが、マチエールだけでなく、あらゆる面でさんざん苦労させられ、自分の資質もあって自然と日本画の顔彩に色調が酷似しているパステルと色鉛筆使用に移っていきました。

 アクリル絵の具も、同じで、油彩と同時ぐらいに使用を止めました。
 
 一つ言い添えておくと、2023年に都立美術館でマティス展を鑑賞して確信したのですが、ほとんどの画家が油彩を厚く塗り過ぎです。
 ファンアイク兄弟が写真のような絵を描くために発明したと言われる油絵具ですが、その当初の目的通り、厚塗りには向かないんです。

 各絵具メーカーから『ギルド絵具』といった最高級、超プロ用の絵具が出てますね。

 これも厚塗りしてしまうと、キャンバスの白い下地にせっかくの最高級顔料そのものの美しさが映えず、まったく意味がなくなります。

 分かり易い例でいうと、有名なフェルメールの『ターヴァンを巻いた少女』。

 このターヴァンの青を出すために、フェルメールは宝石のラピスラズリを原材料とした高級顔料「天然ウルトラマリン」が惜しみなく使用。
 少量で家一軒以上。金以上に効果。

 マティスの平面構成の作品や、中国のマティスといわれた色彩画家、常玉(サンユー)らが使うべき、使いこなしてポテンシャルを引き出せる絵具です。

 ヴァイオリンのストラドバルウスやグァルネリ、エレキギターのヴィンテージ・レスポール、車のポルシェ 911 GTS2みたいなもので、一部のトッププロがその微妙な高性能の良さを引き出せるような製品だと思います。

 このような用途のために『ギルド絵具』は開発されたのですが、まあ、ほとんどの画家はそう認識できてはいないでしょうねえ。

 私ですか?

 まあ、今なら、もちろん僕は使いこなせますね。

 ただ、ブランクもありますから、最初は多少の試行錯誤はあるでしょうが、使いこなせると思います。

比較項目 梅原龍三郎、「純粋経験」の定着・描出 安井曾太郎の「色彩と造形による高度な感銘を与えるためのシステム構築」
対象との関係 主客未分(自己と対象の溶解)
山を観ての感動・想像=イマジネーションを計算された描画理論とテクニックで描いた! 特に別な投稿記事で説明した色彩の和音理論を半ば高度に意識して使用している。
主客の格闘(自己と対象の対峙)
対象をじっくり見据え、梅原以上に形・造形に繊細に気を遣い、重きを置きながら感動を描出!。

まとめ:本居宣長のもののあはれ、から西田幾多郎を通って梅原龍三郎へ

宣長が吉野の桜に見た「理屈抜きの感動」は、西田幾多郎によって「純粋経験・絶対無の場所」という哲学にシステム化され、梅原龍三郎は絵筆を通じて視覚的に見事な表現へと昇華しました。

私が提唱する「芸術=表現+対話の装置」および「音律と色彩の物理的翻訳」は、この歴史的系譜の先端に位置しています。

 梅原龍三郎の北京秋天は、国画会展に出品され、一大センセーションを巻き起こし、親友だった川口松太郎が購入して、毎日飽きずにずっと鑑賞したのが、ある日突然梅原から電話が掛かってきて「国立近代美術館に渡したいんだ。別な作品を用意したから交換してくれないか?」と言われ、奥様に大反対されたそうですが、本当に泣く泣く手放したそうです。

 梅原はこの1942年に描いた作品について「秋の高い空に興味をもった。何だか音楽をきいているような空だった。これもやはり午前の絵だ」!」と言っています。
 
 これぞまさに『純粋経験』であり、やはり梅原が『音楽のような絵画』の制作を大きな目標にしていように思います。

 今、この風景を描こうにも、桜島も富士もそうですが、回りがビルや住宅で描けるもんではないです。これは歴史上一回切り。
 もう描くのはどんな画家でも無理です。

 本居宣長の「もののあはれ」の精神は西田と梅原?に継承されました。

 前回の投稿記事の『日本美術の定義は何か?』という記事に見事につながりましたね?


[出典]

[1] 西田幾多郎「場所」(1926年6月、『哲学研究』第123号) https://www.project-archive.org/0/027.html
[2] 西田幾多郎『善の研究』第一編第一章「純粋経験」(青空文庫) https://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/946_74853.html
[3] 浅倉祐一郎「西田哲学と芸術―「場所」の立場における芸術の意義―」『西田哲学会年報』2巻(2005年) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnpa/2/0/2_110/_article/-char/ja
[4] 浅倉祐一朗「西田哲学と芸術―関連研究の諸相と展望―」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』(2004年) https://gssc.dld.nihon-u.ac.jp/wp-content/uploads/journal/pdf04/4-403-414-Asakura.pdf
[5] 大久保喬樹「余白と座―日本的心性の展開 その三」『東京女子大学紀要論集』65-2(2015年) https://twcu.repo.nii.ac.jp/record/25094/files/TakakiOKUBO_20150315.pdf
[6] 大阪大学「湯川秀樹の『中間子論』学位論文を公開」(1934年11月に学会発表) https://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/topics/2014/05/20140514_01
[7] 大阪大学 湯川秀樹の物理学「湯川の時代の物理学と中間子論(2)」 https://www-yukawa.phys.sci.osaka-u.ac.jp/topics/75
[8] ノーベル財団 Hideki Yukawa – Facts(予言した質量は電子の約200倍) https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1949/yukawa/facts/
[9] ネットミュージアム兵庫文学館「湯川秀樹」年譜(1966年に素領域理論を提唱) https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a64/
[10] 松岡正剛「千夜千冊 828夜 『創造的人間』湯川秀樹」(老荘と混沌の引用、京大での西田の講義) https://1000ya.isis.ne.jp/0828.html
[11] 坂本慎一「西田幾多郎と湯川秀樹―その交流と哲学的な一致」『比較思想研究』第51号(2025年3月、75–82頁) https://researchmap.jp/drecsakamoto/published_papers/50042014
[12] 湯川秀樹「湯川秀樹の素粒子理論研究と中国の老荘哲学」『素粒子論研究』85巻2号 https://www.jstage.jst.go.jp/article/soken/85/2/85_KJ00004707127/_pdf
[13] 「場の量子論」(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E3%81%AE%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%AB%96
[14] 「幽玄」(Wikipedia、中世歌論・藤原俊成・余情の美) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BD%E7%8E%84
[15] 西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」(西田の最終論文) https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/8b87a40d-9e4f-400c-bf55-e95466e29789/content

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