仏教の悟りとは何か?・・・・【PartⅣ】大規模災害・戦争から作られ話題となったヴェネチアビエンナーレ受賞展示! という投稿記事のヘッダー

仏教の悟りとは何か?

 道元の『心身脱落 脱落心身』は師である中国の天童如浄(てんどう にょじょう)から教わったものですが、これは、沸き起こってくる「怒り、嫉妬、性欲、攻撃心、寂寥、強欲、不安、悲しみ」の一切を座禅の中で湧き上がらせるに任せながらも一つ一つ捨て去って、明鏡止水の境地、完全にこころが欲望に引かれて止まない状態をゼロにして楽になることを目指すものです。

 ユングは「仏陀は輪廻からスピンアウトするため、この世への生まれ変わり意欲をこなごなに砕いた男だったとも伝えられるが、しかしそれは人間離れしている。」と言っています。

 そしてそんな事が果たして可能なのか?
 確かにそれは人間離れしています!

 鈴木大拙など色んな仏教関係者が今まで悟りについて自説をほとんどが曖昧に主張してきましたが、原始仏教の悟りの内容の一つが『自分の霊的な実体を自分意思でガラス玉のように粉々に砕いて無にすること』だと思います。

 しかし、この見解は、ユング以外誰もここまで言えなかった。

 鈴木大拙は「この座禅を組んで、曙を観た時に、仏陀は忽然と悟りを開いたという。この悟りの消息を、今までの仏教研究者は軽視して、あまり言及してこなかったが、何としてもこの悟りの消息を仏教学者ははっきりさせなければならないのです。喝!」
 などと、外国人への講演で言っていますが、

 「皆さんは私の英語はとても良く分かったでしょうが、私の話の内容はよくは分からなかったでしょう!・・・・喝!」と視聴者に喝入れてましたが、結局、本人が悟りとは何か?ついぞ説明できなかったのです。

 この後の話はこう続きます。「え~~~っ!ところで、そのものを知るにはそのものに成りきることが重要です。」(『禅とは何か? 鈴木大拙著』p88)

 つまり、はぐらかしですね?

 結局、悟りについては誰も分からなかった。

 私は、この自己滅却とともに、悟りとは、ある事実を直観的に認識すること。だと思います。

 悟る=はっきりと分かる
 
 以前、棋士の加藤一二三 九段が、なぜ棋士を目指したのかについて、こう答えています。

 「私はある対局の棋譜を見て、これは大変興味深いと見入ってしまい、「ああ~~~っ、私は将棋が好きなのだ!」と悟ったんですね。」

 これが『悟り』です。

 だから禅でも「悟りに大悟あり小悟あり!」というのです。

 よく論語の「子の曰わく、朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり」を、道元も『正法眼蔵随聞記で二度そう言ったと、悟りとは何か?と絡めるように話す人がいますが、これを「朝に悟りを開けば」という意味に取るのはナンセンス極まりない。

 それでは、人生を生きる意味がなくなります。

 仏陀は、インド哲学で「覚者=目覚めたもの」という意味ですが、この覚者は当時何人もいたが、その目覚めた内容を教師になって教えたのがゴータマ・シッダールタ以外にはいなかったのでは?と佛教大学のインド哲学のテキストに書いてありますが、仏陀はその自覚した内容を「諸行無常」「諸法無我=全ての物には実体がなく単独で存在するものはない」などという内容だったそうですが、これは現代物理学の学説とぴたりと一致している。
 
 改めて言われてみて考えてみると当たり前の事だけど、この「言われてみて、な~~んだ、そうだったのか!」という、目の前にある真実を「分かる=認識する」ことをインド哲学でパンニャーの知恵といいます。
 ここから「般若の知恵」と訳されたのですね?

 つまり、仏陀とは色んな真理・真実に気づいた人という意味です。

 加藤一二三は「自分が将棋が好きで、棋譜を読み進めて理解できたことで、自分の天才を悟った」のです。

 中学1年生の時に梅原龍三郎の『櫻島 青』の写真をみて涙が出るほど感動して「絵って感動するものなのだ。」と悟った。

 林武が、雪降る道を自転車で牛乳配達して転倒してしまい、牛乳瓶を割って散乱させたのを居合わした警官が「空恐ろしい奴だ!」と嫌悪した。
 その時、何か自分の頭の深くに、空から陽がさしたように、金色の光がさした。
 それは何か「大丈夫、お前は必ず、何がしかの大物になる。お前には天才がある。神の加護がある」と言われているんだと直観した。

 この経験はその後画家を目指して、ピンチに追い込まれる時にいつも自分を勇気づけ確信させたと著書の『美に生きる―私の体験的絵画論』(講談社現代新書、1965年)に書いてあります。

 これが悟りですね。

 それで、これらの例でお分かりの通り、悟りには、必ず直観・直感が働く。ということです。

 分析しての論理判断なら真偽は保留となることも多いけど、直観は「これは間違いない」という真実性が保証されます。

 仏教の教えは、人間はこの悟りを積み重ねて生きていくものだ!と思います。

道元の心身脱落と人間の性欲と暴力性、嫉妬と寂しさ、プライド 

 この『心身脱落』は道元の、頼朝や義経のような源氏の血に流れる暴力性・強欲性。母が木曽義仲の妻?で(道元は義仲との仲の後に源通親の側室になって道元を産んだと言われていますが?)、義仲が戦乱の中でさえ母の身体に夢中になっていたという言い伝えもあって、その母の苦しみと義仲への共感。などから来ているのでは?と何人かの研究者はみていますが、道元という、福井の極寒でも薄い布団で寝ていてとうとうそのせいで早死にしてしまった頑なストイックさ。弟子に対してもストイックな厳しさを求めてたと言われていますが、その理由だったんでしょうねえ。

 この座禅による、マインドフルネスは、現代だからこそ、がぜん大きな価値を持ち輝いてきているように思います。

★【このシリーズの他のページ】

【PartⅠ】大規模災害・戦争から作られ話題となったヴェネチアビエンナーレ受賞展示!―「トラウマ・オリンピック」、そして国際美術展の現実!(ページへ!)

【PartⅡ】大規模災害・戦争から作られ話題となったヴェネチアビエンナーレ受賞展示!「みんなの家」は、その後どうなったか――伊東豊雄・田中功起の出品内容と、被災地への影響!(ページへ!)

【PartⅢ】【瓦礫と戦場の中で、人は花を求める!】・・・大規模災害・戦争から作られ話題となったヴェネチアビエンナーレ受賞展示!(ページへ!)

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事
親しくしていただいている東京画廊について
8月7日に東京画廊の山本代表とまたお会いして対談させていただきました。「横田君が村上隆に匹敵する画家なのは本当のことだから全てホームページなどに掲載していいよ!」!
 こんにちは。  札幌在住のパステル画家・デジタルアーティストの横田昌彦です。  札幌はここ数日で急に涼しくなりました。  そのなり具合が急...