西田直二郎・西田幾多郎・安田章生、そして横田理論
佛教大学の通信教育「日本文化史」で教授から教えられたのは、
「日本文化を知るには、まず西田直二郎から学べ。次に西田幾多郎を学び、そこを土台にして、自分自身の思想と理論を作っていきなさい」
という考え方でした。
そこで今日は、ここから出発して、「日本文化とは何か?」「日本の芸術・美術にはどのような特徴があるのか?」を、先人たちの研究を手掛かりに考えてみたいと思います。
① 西田直二郎――まず日本文化を「総体」として知る
経歴・プロフィール
生没年:1886年(明治19年)12月23日~1964年(昭和39年)12月26日
出身地:大阪府
学歴:京都帝国大学文科大学史学科卒業(1910年、史学科第一期生)
職歴:京都帝国大学講師、助教授、教授を歴任。のち京都大学名誉教授
日本において「日本文化史」の講義を先駆的に行い、近代的な日本文化史学の基礎を築いた歴史学者です。
代表作の『日本文化史序説』(1932年刊)などを通じて、ディルタイやブルクハルトらの影響を受けた文化史の理論を展開し、日本文化の歴史的展開を総合的・体系的に捉えようとしました。
『日本文化史序説』の革新性と内容
1932年(昭和7年)に刊行されたこの本は、それまでの「政治の歴史」や「事件の歴史」を中心とする歴史観に対して、文化の視点から日本の歴史を捉えようとした重要な著作です。
「日本文化史」という学問領域を切り拓いた
京都帝国大学で日本文化史の講義を開講したのが西田直二郎です。
それまでの文献学中心、あるいは政治事件中心だった日本の歴史学に対して、「文化史」という視点を日本に定着させた功績は大きいといえるでしょう。
西田は、日本文化の特徴を、外国からの影響を受けることを嫌がらず、それを自家薬籠中のものとして取り込み、さらにオリジナルなものへと昇華させる点にあると考えました。
これは、今でもものすごく当てはまっていますよね?
特に戦後のアメリカ文化、ヨーロッパ文化の摂取・流入は、ものすごいものでした。
現在の日本語にも英語をはじめとする外国語が大量に入り込み、「英語のチャンポン」のようになっている表現も少なくありません。日本人には、外国語に対するアレルギーが比較的少ない面もあるように思います。笑。
② 日本人は、理屈や論理よりも感情や感性を表現しようとする――どこまでも簡単・簡素・簡潔に
佛教大学教授の恵谷隆戒氏は、著書『東洋文化史概説』の143ページで、次のように述べています。
「日本ではインドの因明論理のごとき形式論理学などが受容されたけれど発達しなかった。……これは日本人が理屈をいうことを嫌い、ことをあげつらうことを嫌う性格からきたのであろう。日本人には何処までも簡単簡潔、清浄潔白を好む伝統的な固有精神があると考えられる」
そして、日本文化の特徴として、理屈をこねるよりも、簡単・簡素・簡潔に、感情や感性を表現することを好む傾向があると述べています。
これは、佛教大学における日本文化についての一つの考え方としても示されているようで、『東洋文化史』のテキストにも同様の趣旨が書かれています。
これは、戦前・戦後を通じて、アジアの国としていち早く科学技術を発展させ、戦後には高度経済成長を成し遂げ、GDP世界第2位にまでなった日本人には、少しピンとこない話かもしれません。
しかし、日本語には「おまえは理屈っぽいんだって。嫌われるぞ!」とか、「屁理屈を言うな!」とか、「理屈はどうであれ……」という言葉があります。私の両親のような昭和一桁世代は、こうした言葉をよく使っていたものです。
振り返ってみると、日本文化の和歌・俳諧・茶の湯・庭園・枯山水などには、確かに「簡単・簡素・簡潔」という特徴を見ることができます。
建築を見ても、ヨーロッパの宮殿のように金色の装飾で一面を飾り立てるのではなく、狩野派の鷹の絵などを襖に配し、あとは木の柱と梁、壁などで構成する。これもシンプルさの極みではないでしょうか。
③ 西田幾多郎――次に「人間と世界」を考える
経歴・プロフィール
生没年:1870年(明治3年)5月19日~1945年(昭和20年)6月7日
出身地:石川県河北郡宇ノ気村(現・かほく市)
学歴:東京帝国大学文科大学哲学科選科修了(1894年)
職歴:第四高等学校教授などを経て、京都帝国大学助教授・教授を歴任。のち京都帝国大学名誉教授
西田幾多郎(1870~1945)は、日本を代表する哲学者です。
「純粋経験」「場所」などの思想を展開し、後期には「行為的直観」という重要な概念を提示しました。
ここでは、見ることと行為すること、知ることと作ることが切り離されません。
自己が世界に働きかけると同時に、世界もまた自己を形成する。
芸術創作についても、この「行為と直観の一体性」は重要になります。
つまり、世界を見るだけではなく、世界との関係の中で自分自身が創造される。これが、次に学ぶべき哲学です。
哲学者・西田幾多郎(京都学派の祖)の日本文化研究と、それを前に進めた功績は、「西洋の論理や哲学を使って、東洋・日本の精神を世界に通用する言葉へと翻訳・体系化した」点にあると考えられます。
歴史学者の西田直二郎が歴史のプロセスや事実から日本文化を捉えたのに対し、哲学者である西田幾多郎は、その根底にある「見方・論理」そのものを哲学として提示しました。
彼の主著『日本文化の問題』(1940年)などを手掛かりに、その功績を3つに整理してみます。
1. 日本文化を「世界の論理」で説明した――東洋思想の哲学化
それまでの日本文化論は、「日本は素晴らしい」「わび・さびは奥深い」といった、感情的・直感的な主観論になりがちでした。
西田幾多郎は、西洋哲学の高度な論理体系を吸収したうえで、東洋や日本の美意識、禅の思想などを、普遍的な哲学の言葉によって捉えようとしました。
これによって、日本文化研究は単なる「ローカルな趣味・伝統の解説」から、世界の思想家と議論することのできる哲学的な領域へと進んでいきました。
2. 文化の根底にある「無の場所」の提示
西田幾多郎は、日本文化が外国の影響を嫌がらず、それを自家薬籠中のものとして取り込むことができる理由を、彼の代表的な哲学概念の一つである「無の場所」と関連づけて考えることができます。
日本・東洋文化の性質を考えるうえで、「無」あるいは「絶対無」という概念は重要です。
中心を「空っぽ」にしておく。
これは、ユング心理学者の河合隼雄が、仏教について「聖書のような経典も、決定的な教義もない。台風の目のように中心が空っぽになっている」という趣旨の説明をしていることとも重なります。
中心が固定されていないからこそ、異なる思想を受け入れ、共存させることができる、という考え方です。
西田の親友は仏教学者の鈴木大拙で、二人とも熱心に座禅に取り組みました。
また、西田幾多郎や鈴木大拙の思想が、同じ京都大学にいた湯川秀樹らの思想形成にも影響を与えたと論じられることがあります。
中心が空っぽだからこそ、仏教でも、中国の思想でも、西洋の科学でも、さまざまなものを受け入れ、その中で自由に組み合わせ、新しいものを生み出すことができる。
西田は、このような「形を持たないがゆえに、あらゆる形を受け入れながら、自らを限定していく性質」を、「絶対矛盾的自己同一」という概念によって捉えようとしました。
これは、西田直二郎が指摘した「外国から受け入れたものをオリジナルなものへと昇華させる力」のメカニズムを、哲学的に考える手掛かりになるものです。
3. 国粋主義を超えた「世界的な文化」への視点
西田が日本文化論を盛んに発信した昭和初期から戦時中は、「日本万歳」という偏狭なナショナリズムが強まっていった時代でした。
その中で西田は、日本独自のものを尊重するだけではなく、それを世界的な文化へと発展させる必要性を説きました。
「自家用の文化ではいけない。自ら世界的な文化を造り出さねばならぬ」
という西田の言葉に示されるように、日本文化の優秀性を自画自賛して閉じこもるのではなく、日本文化の特質を生かして、世界的な文化を生み出そうとする視点がありました。
つまり、日本文化を「日本だけの特殊な文化」として閉じるのではなく、世界との関係の中で捉え直すということです。
④ 安田章生――「幽玄」と「余情(よせい)」
千住博氏の著書を通じて知ったのが、安田章生さんの『日本の芸術論』(東京創元社)です。
初版は1957年に東京創元社から刊行され、1972年には新版が刊行されています。
千住さんは「僕の芸術観は多くのところがこの本に負っている」と述べています。
それで読んでみたのですが、非常に読み応えのある、素晴らしい本だと感じました。
内容は、美術だけでなく、書道・華道・音楽・小説など、芸術のさまざまな分野を幅広く渉猟しています。
そして、どの分野でも重要な観念として登場するのが、「幽玄」と「余情」です。
「余情」とは、作品に直接表現されたものだけではなく、作品を見た後に鑑賞者の心の中に残り、そこからさらに広がっていく感情・想像・意味のことです。
これは、先に述べた「簡単・簡素・簡潔」に制作し、余白を大切にすることで、むしろ描かないことによって、鑑賞者の中に新しい感情や詩情を呼び起こすという考え方につながります。
これは、もの派の美術家、李禹煥(リ・ウーファン)の作品を思い出しますね。
李さんの著書には『余白の芸術』があり、作品には「関係項」などがあります。
李さんは韓国人ですが、日本で活動する中で日本の美意識とも深く関わり、表現を最小限に絞り込む感性を示しています。
では、「幽玄」とは何でしょうか?
「幽玄」というと、能の舞台に見られる荘厳で静的な世界を思い浮かべるかもしれません。しかし、それだけではありません。
「幽玄」という言葉は、時代や文脈によって意味が変化してきました。『日本の芸術論』でも、さまざまな人物が「幽玄」をそれぞれ異なる意味で用いており、固定した一つの意味だけで捉えることは難しい言葉です。
しかし、こうしてさまざまな用例を見ていくと、単純な美しさではなく、奥行きや含みを持った美、直接的には表現しきれない深い趣を指す言葉として捉えることができるでしょう。
「簡素」だから表現が乏しかったり「貧弱」なのではない――余白に語らせる美学!
日本の「簡素」は、単に何もないことではありません。
余計なものを削り、本質を残す。
そして、表現しない部分を鑑賞者に委ねる。
その結果、
簡素 → 省略 → 余白 → 想像 → 余情(よせい)
という流れが生まれます。
この「単純・簡素の美」を明確に論じた近代の重要人物の一人が、柳宗悦です。
柳は『工藝の道』で、「工藝においては単純さが美の主要な要素である」という趣旨を論じ、単純さの中に深い美が成立すると考えました。
したがって、「簡素・簡潔」という日本美の特徴は、柳宗悦だけでなく、西田直二郎や多くの研究者によって言及されてきた重要な観念の一つだと考えられます。
統合された「日本美術の定義」
ここまで見てきた先人たちの学説を踏まえて考えてみると、私は日本美術を次のように定義できるのではないかと思います。
「日本美術とは、象徴・省略・余白・簡素によって余情と幽玄を生み出し、鑑賞者の心に第二の世界を立ち上げる芸術である。
その作品は、文化精神の表現であり、作者・鑑賞者・世界が関係し合う『場所』として、対話を生む装置である。」
これは、私の芸術についての定義である、
「芸術とは、表現であり、対話を生み出す装置である」
とも、やはり深いところで一致します。
私も現在、できるだけ「簡単・簡素・簡潔」に絞り込んだ表現によって、多様な余情=詩情や思考を感じさせる小品の制作に意欲を燃やしています。
★【付録】平安時代から江戸時代までの芸術論!
平安時代から江戸時代までの芸術論・美術論を調べてまとめました。参考にしてください。
ここからは、各時代の代表作品を通して、日本美術の本質がどのように具現化されてきたのかを見ていきます。
平安時代(794–1185)――すでに「余情」と「幽玄」につながる表現が成熟していた時代
平安時代は、日本美術の精神構造が大きく成熟していった時代です。後世に「余情」や「幽玄」と呼ばれる美意識につながる表現も、この時代に高度に発達しました。
源氏物語絵巻
- 余白を生かした画面構成
- 「吹抜屋台」による視線の誘導
- 感情を直接描かず、暗示によって示す表現
人物の表情は細かく描かれますが、その心理は言葉で説明するのではなく、構図・色・余白・視線の流れによって暗示されます。
鑑賞者は、
- 描かれていない心情を想像し
- 物語の前後を補い
- 自分の経験と重ね合わせる
そのとき、作品の外側に「第二の世界」が立ち上がる。これが、私のいう「余情」です。
鳥獣人物戯画
- 動物を擬人化した象徴表現
- 線の省略と躍動感
- 余白が動きを生む構成
ここでは、細部の描写よりも、線の勢いとリズムが重視されています。
- 線の省略
- 背景の省略
- 余白の活用
これらが鑑賞者の想像力を刺激し、「描かれていない世界」を心の中に生み出します。
平安時代のこれらの作品には、後世に「余情」や「幽玄」と呼ばれる日本美術の重要な特徴につながる表現を見ることができます。
鎌倉時代(1185–1333)――快慶・運慶の仏像に見る生命感と量感
快慶・運慶の仏像
- 肉感的で豊かな量感
- 生命力を感じさせる写実性
ここでは、静かな精神性と、強い生命感を備えた造形を見ることができます。
- 張りのある筋肉
- 豊かな身体表現
- 内側から光るような生命力
静かな表情の中に、強い生命力が宿る。この対照的な性質も、日本美術を考えるうえで興味深い特徴です。
室町時代(1336–1573)――水墨画と能における余情と幽玄
雪舟「山水長巻」「天橋立図」
- 水墨による省略
- 余白の大胆な使用
- 見る者が風景を「補う」構造
山水画では、すべてを写実的に描くのではなく、墨の濃淡と余白によって、鑑賞者の心の中に風景を立ち上がらせます。これは、「余情」という考え方を理解するうえで重要な例です。
能(世阿弥)
- 幽玄の理論化
- 動作の抽象化
世阿弥は、能の美を論じる中で「幽玄」を重要な概念として扱いました。
- ゆっくりとした動き
- 少ない言葉
- 静かな舞台
その中に、強い精神性と生命力が宿る。直接的にすべてを表現するのではなく、抑制された表現によって深い趣を生み出すところに、幽玄の一面を見ることができます。
桃山時代(1573–1603)――等伯と永徳に見る霧と量感の美
長谷川等伯「松林図屏風」
- 霧による余白
- 松の象徴化
- 静けさの中に潜む生命感
画面の大部分は、霧によって包まれたような余白となっています。松の形も、細部まで写実的に描き込むのではなく、象徴的に表現されています。
鑑賞者は、
- 霧の中に風景を想像し
- 松の形に意味を読み込み
- 自分の感情を重ねる
ここに、余白による余情と、直接的には説明しきれない幽玄的な趣を見ることができます。
狩野永徳「唐獅子図屏風」
- 豪壮な量感
- 豊かな身体表現
獅子の身体は、豊かで力強く、圧倒的な存在感を持っています。等伯の「松林図屏風」とは対照的な方向から、日本美術における量感と生命力を示す作品といえるでしょう。
江戸時代(1603–1868)――琳派・浮世絵・北斎に見る余情と幽玄の展開
琳派(宗達・光琳・抱一)
- 余白の美
- 形の象徴化
- 装飾性と簡素の融合
琳派の作品では、余白・簡素化された形・象徴的な構図が組み合わされ、洗練された装飾性と余情が生み出されています。
浮世絵(歌麿・写楽)
- 人物の肉感的表現
- 豊かさと官能性
浮世絵では、人物の身体や表情を大胆に捉える表現が発達し、江戸の庶民文化の中にも独特の美意識が広がりました。
北斎「富嶽三十六景」
- 構図の大胆さ
- 象徴化された自然
- 鑑賞者の想像力を刺激する余白
北斎は、自然を単なる風景としてではなく、強い構図と象徴性を持ったものとして描きました。その大胆な構図と余白は、鑑賞者の心に作品そのものを超えたイメージを生み出します。
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