
日本画家の千住博さんをご存じの方も多いと思います。滝を描いた荘厳な作品群で世界的に知られ、1995年にはヴェネツィア・ビエンナーレで東洋人として初めて名誉賞を受けた方です(受賞作「The Fall」。奇しくも阪神・淡路大震災の年でした)。
これから、前回の投稿記事でも言及した千住博さんの芸術の定義について、さらに深く論じていきますが、ひとつ、くれぐれも誤解のないようにお願いします。
私の前途を照らす二人の日本人現代美術家。千住博と村上隆
私は千住博の作品について、一切の批判もなく、日本を代表する現代美術家として一貫して高く評価してきました。
彼がヴェネツィア・ビエンナーレで受賞した滝の絵を札幌の百貨店で見たときは、「すごい画家が出てきたな。やっと、もやもやした天井を突き抜けていくような表現をする日本人画家が出てきたな。まるで(当時登場して衝撃を与えていたR32型スカイラインGT-R。レースで圧勝し、解説のアナウンサーが『トルクスプリット式4WD。走るにしても曲がるにしても、すごい車が現れたものです』と言っていた)スカイラインGT-Rのような衝撃だ!」と感じたものです。
ですので、千住博への賛辞は今も変わりませんし、人物そのものに批判的な気持ちがあるわけでもありません。芸術の定義について異議を唱えているだけです。
これは千住博への批判というより、「異議申し立て」と受け取っていただきたい。
当時は今の妻とちょうど交際し始めた時期で、一緒にこの展覧会を鑑賞しました。感想を聞くと、「この人ならあなたのライバルになれるだろうと思った。良かったね?」と言っていました。
当時、専門学校を辞めて本格的に画家を目指し始めた時期でしたが、天才を自負する私は、国内に自分のライバルとなる画家が見当たらず、いつも今ひとつやる気が出ない状況でした。
村上隆はまだ、海のものとも山のものともつかない存在でした。その数年後、千住氏がゲスト解説したNHKの特番「世界の現代美術の現在を解説する」という番組で、千住氏は「日本人では村上隆という画家が、アーティストもセルフブランディングをすべきという考えで『ドブ君』というキャラを作って、売り出していこうとしているんです。ちょっと興味深い試みですよね!」と解説していました。
千住氏が「日本の良質なアニメのパクリのようなまがい物など絶対に認める気はありません」と言っていた村上隆(同じ東京芸大日本画科卒の同窓生なのにね!(笑))。その数年後、フィギュア「ヒロポンちゃん」がオークションで16億円で落札され、村上が、まるでF1マシンを運転する超高速亀のように、一気にぶち抜いていったのです。
そこから、村上隆のスーパーフラットの理念が日本にも知れ渡っていったと思います。
まあ……東京画廊の山本豊津代表が、10年以上前から村上隆を私と比肩する存在としてくださるようになり、今のライバルは、やはり村上隆です。
だから、これはとても嬉しいことなのです。
王貞治には長嶋茂雄がいて、長嶋にも王がいて。アントニオ猪木にはジャイアント馬場がいて。アイルトン・セナにはアラン・プロストがいて。
梅原龍三郎には安井曽太郎がいて。漫画『巨人の星』で、花形満には星飛雄馬がいて。
そして『ルパン三世』では、銭形のとっつぁんにはルパンがいて。
最終回でルパンを収監した銭形のとっつぁんは、生きがいを喪失し、涙を流します。
まるで定年退職したモーレツサラリーマン戦士のようです。
まあ、いずれにしても、日本人美術家が努力してどこまで世界の美術家の高みに登れるかを証明してくれたのが、このお二人です。そこは本当に感謝しています。
お二人が私の希望であり、前方を照らす洞窟のカンテラなのです。本当に!
ひとつだけ付け加えさせてもらうと、千住博はヴェネツィアで受賞してから、より大きなオファーに恵まれるようになったわけですが、その受賞にずっとこだわりすぎて、結局、滝を脱ぎ捨てて捨てることが今に至るまでできなかったのではないか、と私は思っています。
滝にこだわれば、当然、次は色を付けてバリエーションを増やす。
主題やモチーフの創造は無限なので、無限に向かって革新を続けていく方向へ進むための拘束になってしまったのではないか、といつも思っています。
村上隆はヴェネツィアで受賞できなかったけれど、かえってそれが、彼にとって自由に行動できる身軽さになったのではないでしょうか。
ピカソ・マティス・カンディンスキー・クレー
賞によって有名になり、歴史に残る国際的な巨匠になった画家は、今までいないのである。
そうでしょう?
ヴェネツィアも含め、この40年、あらゆるコンクール・コンペティションでの受賞の価値がどんどん下がっていったのも必然だったと思います。
この件については山本豊津代表だけでなく、佐谷周吾さんなど何人かのギャラリストに確認しましたが、「評論家に『これがいいから取り扱え』と言われても余計なお世話で、取り扱わなければならない理由はない。作品を売りやすくはなるけれども」というのが大勢の意見でした。その時点から、コンクールへの出品をやめた次第です。
その千住博が、東日本大震災の後、被災地の仮設住宅を訪れた際の出来事を、こう述懐しています。
「その時に僕が驚いたのは、仮設住宅の人たちに何がほしいか聞くと、『美しい絵が見たい』って話されたんですよ。これが人間なんだなって僕は思ったんですね」
生きるための物資さえ事欠く極限の場所で、人々が求めた「美しい絵」。
千住博はこの原体験から、芸術の力について確信を深め、こう語るようになります。
「国境を越えて人を感動させる力があるなら、その芸術作品は世界的なコミュニケーションの手段になりうる。私はそう信じているんです」(GQ Japan、2015年)
著書『わたしが芸術について語るなら』の中でも、芸術を「人と人が仲良くする知恵」と表現しています。「芸術=コミュニケーション」という定義です。
しかし、その定義も踏まえて、世界最大の美術展「ヴェネツィア・ビエンナーレ」をはじめとする現代アートの最前線を眺めてみると、ある疑問が生まれます。
今回は、その「現実」について考えてみたいと思います。
「重いテーマなら必ず評価される」という言説の検証
2年に一度、イタリアのヴェネツィアで開催される国際美術展では、90以上の国や地域が「自国館」を出展し、最高賞である「金獅子賞」を競います。アート界のコンペティションの最高峰です。
さて、ネット空間や美術界隈において、時折このような声を目にすることがあります。
「災害や戦争といった悲劇的なテーマを扱った国は、ビエンナーレでの受賞において相当程度有利である」
これは果たして事実なのでしょうか。公式記録をもとに検証してみます。
| 開催年 (背景) |
金獅子賞 (最高賞) |
備考・日本館などの動向 |
|---|---|---|
| 2011年 (東日本大震災の年) |
ドイツ館 | 日本館は受賞ならず |
| 2012年 (※建築展) |
日本館 | 伊東豊雄氏らが震災の仮設集会所「みんなの家」の記録を出展し、受賞(参考) |
| 2013年 | アンゴラ館 | 日本館の田中功起氏は特別表彰 |
| 2022年 (ロシア侵攻下の年) |
イギリス館 | 戦火のただ中にあったウクライナ館は受賞ならず |
| 2024年 (ガザ情勢下の年) |
オーストラリア館 | パレスチナ系作家サミア・ハラビー氏が個人の特別表彰(公式記録) |
結論から言えば、「必ず受賞する」というわけではありません。2022年のウクライナ館は最高賞を逃しています。
しかし、ここで見過ごせない事実があります。2012年の建築展で、震災に向き合った日本館が金獅子賞に輝いたという強い記憶や、2024年大会で、紛争下にあるパレスチナ系作家の表現がスポットライトを浴びたことからも、「災害や戦争の痛みに真摯に向き合った作品が、繰り返し強い評価と注目を集めてきた」というのは、まぎれもない事実なのです。
田中功起も特別賞を受賞していますし。
「トラウマ・オリンピック」と呼ばれる構造と見世物の引力
なぜ、悲劇や社会問題を扱った作品は、これほどまでに力を持つのでしょうか。
海外のアートメディア(ArtnetやThe Spectatorなど)や現代美術の批評では、近年の国際展が「誰がより悲惨な歴史や社会の不条理を告発できるか」を競い合う場になっている現状を指して、時に「Trauma Olympics(トラウマ・オリンピック)」や「アイデンティティ・ポリティクス」という言葉で揶揄・議論されることがあります。
参考ページに『アートが代わりに戦争する『美術のオリンピック』ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史をたどる』があります。ぜひご一読ください。
審査員や批評家にとっても、被災地や戦場の痛みを背負った作品を前にして、「テーマが重すぎて、アートとしての洗練が足りない」と退けることは、倫理的にきわめて困難です。
テーマそのものが持つ「切実な痛み」が、作品の評価を強力に補強してしまうからです。
美術ジャーナリストの村田真さんは、すでに2003年の時点で、国際展の性質についてこう指摘していました。
「国際展というのは一種の『見世物』だと思う」
「よくも悪くも国際展という舞台は『目立ったもん勝ち』なのだ」
「見世物」という表現はシニカルに響くかもしれませんが、本質を突いています。
世界中から無数の作品が集まる巨大な舞台では、単に静かに提示するだけでなく、人々の意識を瞬時に奪う「魅せる(目立つ)力」が不可欠です。
その舞台において、人間の生死、戦争、災害といった重いテーマほど、強烈な引力を持つものはありません。
作家自身の誠実さとは別の次元で、テーマそのものが人々の耳目を集め、評価を引き寄せてしまう構造的な「重力」が存在するのです。
純粋な対話が「市場価値」に変換されるとき、さらに踏み込んで、アートの世界における「生々しい現実」に触れざるを得ません。
ビエンナーレなどの国際展で評価されることには、アート市場(マーケット)という確実な「続き」が待っています。
米国の美術メディア「ARTnews」は2024年、この現象を「ハロー(後光)効果」と呼んで報じました。
ビエンナーレに出展して注目を集めることで、世界中のコレクターの視線が集中し、オークションでの取引価格が急騰する。ギャラリーやオークショニアも、この市場メカニズムを否定しません。
そこには、次のような避けがたいサイクルが浮き彫りになります。
悲劇や社会問題のテーマ(目を惹きやすい)⟶国際展での評価・注目⟶名声と作品価格(経済的価値)への転換。
ここまでたどり着いたとき、千住さんの語った「芸術=コミュニケーション」という純粋な響きは、少し複雑な色を帯びて見えてこないでしょうか。
被災者たちとの対話から生まれた作品が「国際展」という見世物の舞台に置かれた瞬間から、それは評価の対象となり、やがて市場の巨大な波へと飲み込まれていく。
「対話」を作品という形にしたとき、それは果たしてどこまで純粋な対話であり続けられるのか。これは、どんなに志の高い表現者にとっても、重い問いです。
「偽善」を引き受ける覚悟
では、この構造的な矛盾の中で、表現者はどう生きるべきなのでしょうか。
音楽家の坂本龍一は、晩年の著書『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の中で、自身の社会活動(環境問題や震災後の支援活動)について、静かにこう語っています。
「たとえ偽善だと批判を受けても、それによって社会が少しでも良くなるなら、いいんじゃないかと。エコロジーへの取り組みにしても、震災後の活動にしても、その信念に支えられています」
「偽善かもしれない」「結局は自分の名声のためではないか」。
そんな外野からの批判や、自身の内なる葛藤を、出発点から引き受ける覚悟です。完全に純粋無垢な存在になどなれないことを認め、矛盾を抱えながらも、それでも行動し続けるという強さがそこにあります。
しかしながら、私は坂本龍一の実際の行動を見聞きし、彼が札幌国際芸術祭のコミッショナーに任命された際にメールで売り込んでみたりした経験から、次のような感想を持っています。坂本龍一は、何かにつけて「皆で苦労して組織を作り、盛り上げる活動」の大規模集会やデモにおいて、メインイベントの最も目立つところにさっそうと現れ、「格好いい決め台詞ならぬ決め演説」をして、ニヒルに去っていく。そんな姿を何度も見てきたため、美味しいところをかっさらっていくトンビという印象がぬぐえないのです。
これは、「自衛隊海外派遣法反対、違憲主張の大規模集会」に坂本龍一とともに登壇した大江健三郎にも、同じ印象を持ちました。
まるで、球場のダグアウトに用意された軽食コーナーで、三角形のスイカの天辺にある「一番甘くて美味しい部分」だけを次々と食べ、天辺を手で直して去る長嶋茂雄のようです! (笑)
少ししか接触したことのない坂本龍一は、自分の名声や名誉に寄与しない相手を無視するなど、すごく冷淡な感じを受けました。
もちろん、「何もしないお前が言うな!」と言われればそれまでですが、彼や大江健三郎は、この「自衛隊海外派遣法は違憲だと主張する大規模集会」の前に手伝いをしたのか、その後もできる限りのフォローや、有名人ゆえの広報活動を組織の皆と連携して行ったのか、という疑問があります。
それでは、3.11関連でヴェネツィア・ビエンナーレを受賞した伊東氏と田中功起氏の出品内容や、その後の被災地などへの影響を、坂本龍一の「ZERO LANDMINE」プロジェクトの内容や、その後の世界の地雷ゼロに向けた取り組みへの効果と比較して調べてみました。
◆次の投稿……PartⅡに続きます。
主な出典
- 千住博インタビュー(仮設住宅のエピソード):nybiz.nyc
- GQ JAPAN(2015年8月):gqjapan.jp
- 紀伊國屋書店『わたしが芸術について語るなら』:kinokuniya.co.jp
- 国際交流基金(1995年・千住博が名誉賞):venezia-biennale-japan.jpf.go.jp
- 国際交流基金(2012年建築展・日本館金獅子賞):jpf.go.jp
- OPENERS(2012年建築展日本館):openers.jp
- 歴代受賞一覧(Wikipedia):en.wikipedia.org
- ヴェネツィア・ビエンナーレ公式(2024年受賞):labiennale.org
- The Art Newspaper(2022年はイギリス館が受賞):theartnewspaper.com
- 村田真「見世物性」(artscape、2003年):artscape.jp
- ARTnews「ハロー効果」(2024年):artnews.com
- 坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』書評:nippon.com
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