画家・美術家・アーティストとしての才能とは何だろう?
山下清 作品
コミック ブルーピリオド 第3巻 表紙 

高橋 世田介

 最近私のお気に入りとなっている、東京芸大油画科への受験と合格後の学生生活を描いているブルーピリオド』にデッサンの天才、高橋世田介という人物が出て来ます。

 会田誠が作者の山口つばささんと『対談』したとき、

 「登場人物の誰と自分が一番似ていると思いますか?」

と聞かれ「高橋世田介君ですね」と答えています。

 私も同じですね。高校時代は天才的なデッサン力の持ち主で、自分を内気で無口な人間と思っていましたからねえ。

 大学に入ってから友人の指摘もあり、自分が真逆な性格だとはたと気づいた次第です。(笑)

 さて、画家・美術家・アーティストの才能って何でしょう?

 自分に才能があると正確に知っていたなら、安心して芸大や美大に進んで画家を志せますかねえ?リスク管理という意味で。

絵が上手い人は絵の才能があるのか?

 会田誠や私、会田の友人で同じ芸大卒でミズマ・アートギャラリーの山口晃氏みたいな天才的なデッサン力の持ち主なら才能があるのか?

森村泰昌 ゴッホの絵

森村泰昌 『肖像』

 ゴッホやベラスケスの絵の中に入り込んだ作品を制作する事で知られる森村泰昌さんは、このような作品を作るようになったきっかけがデッサン力や制作力の不足だったからだそうです。

 宮島達男さんのLEDタイマーの作品にもデッサン力は必要ないですよね。

 ですから、デッサン力が必修というわけでもないですねえ。

 ただし、ブルーピリオドでも出て来ますが、デッサン力のある東京芸大受験生は数学がもの凄くできて、東大・京大のような有名大学に合格できるぐらいの学力の持ち主が多いそうです。

 これも同書からですが、学生の多様性の確保という意味から東京芸大美術学部では毎年、科目試験のトップの学生を必ず一人合格させるという噂があるそうです。

 少なくとも、デッサンが得意ということは、立体を頭の中に思い浮かべる脳の空間把握能力頭に思い浮かべた立体を自在に回転させたりして操作する能力が高いということだと思います。
 
 思い浮かべた立体を、空中の上から裏から側面から、地面から視たらどんな形になっているのかなども思い浮かべられるでしょう。

 これは建築家やエンジニア、舞台や映画の監督や演出家にも必要な能力ですよね。

 つまり、全体と部分をひとまとめに把握し、自在に動かしてシミュレートできる。

 ということは努力すれば、創造力の一要素であるシステム思考ができる、デザイン思考ができる人間になれるということではないでしょうか?

 そう考えると、レオナルド・ダヴィンチやミケランジェロがあのような見事な作品を創れたのは、生来の素質に努力を重ねた結果の高いデッサン力があったからだと言えそうですねえ。

色彩センスや形、線への審美眼が才能なのか?

ハッカーと画家 本の表紙 『ハッカーと画家』(詳細は図をクリック)という知る人ぞ知る有名な本があります。

 「優れた画家はハッカー、すなわりAppleの創始者スティーブ・ヴォズニアックやFacebook創始者のマーク・ザッガーバーグ、Googleの2人の創始者セルゲイ・ブリン、ラリーペイジのような天才プログラマと一番に似ている。」

と主張している本です。

 その中で、「例えばiphoneを作ったスティーブ・ジョブズやポルシェ911を作ったフェルナンド・ポルシェ博士などにはデザインセンスがあると考えざるえない」といっています。

 そして「デザインセンスとはずばり審美眼である」といっています。

 審美眼とは普遍的に美しいものへの敏感さですよね。

聖アンナと頼近美津子 誰を美人と感じるか?何を美しいと感じるか?です。

 美しいデザインを美しいと感じるセンスです。

 アンディー・ウォーホールはマリリン・モンローを当代一の美人と感じたのだろうし、レオナルド・ダヴィンチは『聖アンナ』をみると女子アナウンサーブームの走りの頼近美津子さんのような人を美人と感じたわけです。

 しかし、多くの国で採用されている一夫一婦制は「蓼食う虫も好き好き」でなければ成立しません。

 そこで、こてこての『大阪のおばちゃん』タイプの自分の嫁が日本一や!という人がいるでしょうが、こういう人はダヴィンチやウォーホールにはなれません。

 では、マルセル・デュシャンは審美眼に優れていたのか?

 実は森村泰昌さんは「美しい」ってなんだろう? 美術のすすめ (よりみちパン! セ)という本を書かれています。

 一見審美眼とは距離のある作品を描いているアーティストが『美』に非常に敏感で深く思索を重ねている場合もあるわけですね。

 では、審美眼は必修か?

現代アーティトとしての才能とはプロデュース能力である

 こうして考察を進めてきましたが、どうも、「現代アーティトとしての才能とはプロデュース能力である」と言えそうです。

 つまり、創造力ですね。

 最近は創造力には「革新的で画期的な人を驚かせるような作品や製品、サービスを作りだす力。発明や発見をする力」だけでなく、得られた成果物を世に知らしめるマーケティング能力とそれを利益につなげるビジネスセンスも含まれるという考え方が台頭してきました。

 ですから、芸大や美大の学生さんや教官の人に多いと言われる、作品を売ってお金を得る事が卑しいと考える人は、その時点でセンスの無さを疑われそうです。

 ビジネスは『世の中が必要としたり、世の中を良い方向に変える物・サービスの提供をする』ことです。

 

山下清 作品 花火の図

山下清 作品

ですから『政治や経済、いろんな思想への理解力』も才能のうちです。

 今話題のバンクシーもこのような面で高いスキルを持っていることが伺えますよね。

 戦後ドイツを代表する画家であるゲルハルト・リヒターもその点で優れているのではないでしょうか?

 では、売れっ子の画家であれば皆がそういった論理的思考力や直観力を持っているのでしょうか?

 小松美羽はどうでしょう?彼女は選挙に行くのでしょうか?

 放浪の画家、『裸の大将』こと山下清はどうでしょうか?

 ちなみに朝日新聞の朝刊の記事では、奈良美智さんは毎朝、主要な新聞を全紙取っていて時間を掛けて読むそうです

 これらの資質を兼ね備えているかどうかは、美術家のタイプによるのでしょうねえ。

 

決定的なのは美的直観力・美的感覚なのではないか

 私はこのサイトで『芸術とは表現である』と言っていますが、連続猟奇殺人者は、恐らく自己の殺人要求を卒倒するぐらいに驚くほどショッキングに表現出来るでしょう。

 では、その作品は優れたアート作品なのでしょうか?

 広島・長崎に落とした原爆を「アメリカ兵をそれ以上死なせないために必要不可欠だったという意図で表現した作品」はアートでしょうか?

 違いますよね。

 丸木夫妻の原爆の絵とこの作品は何が違うのか?

 結局、優れたアート作品であるためには、やはり美的センスが必要ということではないでしょうか。

 「何が美であり善であるのか」ということを、常に瞬間的に美的直感で正確に判断できないといけない。

 いかにに売れていても、この判断が不味い作品は優れていると言えないと思います。

 この善悪の判断というのは、やはりどう考えても『美的センス・審美眼』に依存するように思います。

 ベストセラーになった山口周さんお世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?という本にこう書かれています。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~ (光文社新書)  「美的センスを身に付けてたら、ビジネスや政治の実際で善悪の判断を間違えないですむ。そう考えて世界的な大企業は今こぞって幹部候補を美術大学院に留学させている。」

 この主張は今の私の主張と同意ですよね。

 ただし、美術学校に通ったから必ず美的センスが身に着くとは限らないでしょうし、またそのためにだけ彼らがアートスクールに通うとは言い切れないと思います。

 私はやはり、企業は幹部候補者に「優れたアートへの審美眼と優れたアートを創造する方法を身に付け、それをビジネスな現場は人生に応用して役立ててほしい」と考えて留学させるのだと考えます。
 

札幌在住のパステル画家、横田昌彦のアートマガジン登録ページ



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