「美しい絵が見たい」から始まる思索――千住博の言葉、「トラウマ・オリンピック」、そして国際美術展の現実 という投稿記事のヘッダー画像
 
 日本画家の千住博さんをご存知の方も多いと思います。滝を描いた荘厳な作品群で世界的に知られ、1995年にはヴェネツィア・ビエンナーレで東洋人として初めて名誉賞を受けた方です(受賞作「The Fall」。奇しくも阪神・淡路大震災の年でした)。(

 これから、前投稿記事ても言及した千住博さんの芸術の定義について、さらに深く論じていきますが、ひとつ、くれぐれも誤解のないようにお願いします。

私の前途を照らす二人の日本人現代美術家。千住博と村上隆

 私は千住博の作品について、一切の批判もなく、日本を代表する現代美術家として一貫として高く評価してきました。

 彼のベネチア・ビエンナーレで受賞した滝の絵を札幌の百科店で見た時は、「凄い画家が出て来たな。やっともやもやした天井を突き抜けていくような表現をする日本人画家が出て来たな。まるで(当時登場して衝撃を与えていたR32型。レースで圧勝して、解説のアナウンサーが「トルクスプリット式4WD。走るにしても曲がるのしても凄い車が現れたものです」と言っていた)スカイン、GT-Rのような衝撃だ!」と感じたものです。

 ですので、私お千住博への讃辞は今も変わりませんし、何か人物に批判を持っているということも、その芸術の定義以外には一切ありません。

 これは千住博への批判というより『異議申し立て』と受け取っていただきたい。

 当時は今の妻と調度交際し始めた時で、一緒にこの展覧会を鑑賞して、感想を聞くと「この人ならあなたのライバルになれるだろうと思った。良かったね?」と言ったいました。

 当時、専門学校を辞めて本格的に画家を目指し始めた時期でしたが、天才を自負する私は、国内に自分のライバルとなる画家が見当たらず、いつも、今一つやる気がでない状況でした。

 村上隆はまだ、海のものとも山のものとも定まっておらず、その数年後、千住氏がゲスト解説したNHKの特番「世界の現代美術の現在を解説する」という番組で、千住氏が「日本人では村上隆という画家が、セルフブランディングをアーティストもすべきという考えで『ドブ君』というキャラを作って、売り出していこうとしているんです。ちょっと興味深い試みですよね!」と解説。

 千住氏が「日本の良質なアニメのパクリのようなまがい物など絶対に認める気はありません。(同じ東京芸大日本画科卒の同窓生なのにね!(笑)」と言っていた村上隆ですが、あのフィギア「ヒロポンちゃん」の16億オークション落札で村上が、まるでF1マシンを運転する超高速亀のように一気にぶち抜いていったのがその数年後です。

 そこから、村上隆のスパーフラットの理念が日本にも知れ渡っていったと思います。

 まあ・・・・東京画廊の山本豊津代表が村上隆を私と10年以上前から比肩してくださいルようになって、今のライバルはやはり村上隆。

 だから、これはとても嬉しいことなのです。

 王貞治には長島茂雄がいて、長島にも王がいて。アントニオ猪木にはジャイアント馬場がいて。アイルトンセナにはアランプロストがいて。

 梅原龍三郎には安井曽太郎がいて。漫画巨人の星で、花形満には星飛雄馬がいて。

 そして『ルパン三世』では銭形のとっつぁんには、ルパンがいて。

 最終回でルパンを収監した銭形のとっつぁんは、生きがいを喪失し、涙を流します。

 まれで定年退職になったモーレツサラリーマン戦士。

 まあ、いずれにしても日本人美術家が努力してどこまで世界の美術家の高みに登れるかを証明してくれたのが、このお二人なので、そこは本当に感謝なのです。

 お二人が私の希望であり、前方を照らす洞窟のカンテラなのです。本当に!

 ひとつだけ付け加えさせてもらうと、私は千住博はベネチアで受賞してより大きなオファーに恵まれるようになった訳だけど、その受賞にずっと拘りすぎて、結局滝を脱ぎ去って捨てることが今に至るまでできなかったのではないか?

 滝にこだわれば、当然次は色を付けてバリエーションをつける。

 主題やモチーフは創造なので無限になるので、無限に向かって革新を続けていく方向に進むための、拘束になってしまったのではといつも思っています。

 村上隆はベネチアで受賞できなかったけど、かえってそれが、彼にとって自由に行動できる身軽さになったのでは?

ピカソ・マチス・カンディンスキー・クレー

 賞によって有名になって歴史に残る国際的な巨匠になった画家は今までいないのである。

 そうでしょう?

 ベネチアも含め、この40年。あらゆるコンクール・コンペティションでの受賞の価値がどんどん下がっていったのも必然だったと思う。

 この件については山本豊津代表だけでなく、佐谷周吾さんなど何人かのギャラリストに確認したけど、「評論家がこれがいいから取り扱えと言われても余計なお世話で取り扱わなければいけない理由はない。

 作品を売りやすくはなるけども」というのが大勢で、その時点からコンクールへの出品を止めたしだいです。
 

その千住博が、東日本大震災の後、被災地の仮設住宅を訪れた際の出来事をこう述懐しています。

 「その時に僕が驚いたのは、仮設住宅の人たちに何がほしいか聞くと、美しい絵がみたいって話されたんですよ。これが人間なんだなって僕は思ったんですね」

 生きるための物資さえ事欠く極限の場所で、人々が求めた「美しい絵」。

 千住博はこの原体験から、芸術の力について確信を深め、こう語るようになります。

「国境を越えて人を感動させる力があるなら、その芸術作品は世界的なコミュニケーションの手段になりうる。私はそう信じているんです」(GQ Japan、2015年)

 著書『わたしが芸術について語るなら』の中でも、芸術を「人と人が仲良くする知恵」と表現しています。「芸術=コミュニケーション」という定義です。

 しかし、定義も踏まえて、世界最大の美術展「ヴェネツィア・ビエンナーレ」をはじめとする現代アートの最前線を眺めてみると、ある疑問が生まれます。

 今回は、その「現実」について考えてみたいと思います。

「重いテーマなら必ず評価される」という言説の検証

 2年に一度、イタリアのヴェネツィアで開催される国際美術展は、90以上の国や地域が「自国館」を出展し、最高賞である「金獅子賞」を競うアート界コンペティションの最高峰です。

 さて、ネット空間や美術界隈において、時折このような声を目にすることがあります。

「災害や戦争といった悲劇的なテーマを扱った国が、ビエンナーレでは受賞で相当程度有利である」

 これは果たして事実なのでしょうか。公式記録をもとに検証してみます。

開催年
(背景)
金獅子賞
(最高賞)
備考・日本館などの動向
2011年
(東日本大震災の年)
ドイツ館 日本館は受賞ならず
2012年
(※建築展)
日本館 伊東豊雄氏らが震災の仮設集会所「みんなの家」の記録を出展し受賞(参考)
2013年 アンゴラ館 日本館の田中功起氏は特別表彰
2022年
(ロシア侵攻下の年)
イギリス館 戦火の只中にあったウクライナ館は受賞ならず
2024年
(ガザ情勢下の年)
オーストラリア館 パレスチナ系作家サミア・ハラビー氏が個人の特別表彰(公式記録)

 結論から言えば、「必ず受賞する」というではない。2022年のウクライナ館は最高賞を逃しています。

 しかし、ここで見過ごせない事実があります。2012年の建築展で震災に向き合った日本館が金獅子賞に輝いた強い記憶や、2024年大会で紛争下にあるパレスチナ系作家の表現がスポットライトを浴びたように、「災害や戦争の痛みに真摯に向き合った作品が、繰り返し強い評価と注目を集めてきた」というのは、まぎれもない事実なのです。

田中巧起も特別賞を受賞してますし。

「トラウマ・オリンピック」と呼ばれる構造と見世物の引力

 なぜ、悲劇や社会問題を扱った作品はこれほどまでに力を持つのでしょうか。

 海外のアートメディア(ArtnetやThe Spectator等)や現代美術の批評においては、近年の国際展が「誰がより悲惨な歴史や社会の不条理を告発できるか」を競い合う場になっている現状を指して、時に「Trauma Olympics(トラウマ・オリンピック)」や「アイデンティティ・ポリティクス」という言葉で揶揄・議論されることがあります。

 参考ページに『アートが代わりに戦争する『美術のオリンピック』ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史をたどる 』があります。ぜひご一読下さい。

 審査員や批評家にとっても、被災地や戦場の痛みを背負った作品を前にして、「テーマが重すぎてアートとしての洗練が足りない」と退けることは倫理的にきわめて困難です。

 テーマそのものが持つ「切実な痛み」が、作品の評価を強力に補強してしまうからです。

 美術ジャーナリストの村田真さんは、すでに2003年の時点で国際展の性質についてこう指摘していました。

「国際展というのは一種の『見世物』だと思う」
「よくも悪くも国際展という舞台は『目立ったもん勝ち』なのだ」

 「見世物」という表現はシニカルに響くかもしれませんが、本質を突いています。
 
 世界中から無数の作品が集積する巨大な舞台では、単に静かに提示するだけでなく、人々の意識を瞬時に奪う「魅せる(目立つ)力」が不可欠です。

 その舞台において、人間の生死、戦争、災害といった重いテーマほど強烈な引力を持つものはありません。

 作家自身の誠実さとは別の次元で、テーマそのものが人々の耳目を集め、評価を引き寄せてしまう構造的な「重力」が存在するのです。

 純粋な対話が「市場価値」に変換されるときさらに踏み込んで、アートの世界における「生々しい現実」に触れざるを得ません。

 ビエンナーレなどの国際展で評価されることには、アート市場(マーケット)という確実な「続き」が待っています。

 米国の美術メディア「ARTnews」は2024年、この現象を「ハロー(後光)効果」と呼んで報じました。

 ビエンナーレに出展し注目を集めることで、世界中のコレクターの視線が集中し、オークションでの取引価格が急騰する。ギャラリーやオークショニアも、この市場メカニズムを否定しません。

 そこには、次のような避けがたいサイクルが浮き彫りになります。

 悲劇や社会問題のテーマ(目を惹きやすい)⟶国際展での評価・注目⟶名声と作品価格(経済的価値)への転換。
ここまで辿り着いたとき、千住さんの語った「芸術=コミュニケーション」という純粋な響きは、少し複雑な色を帯びて見えてこないでしょうか。

 被災者たちとの対話から生まれた作品が「国際展」という見世物の舞台に置かれた瞬間から、それは評価の対象となり、やがて市場の巨大な波へと飲み込まれていく。

 「対話」を作品という形にしたとき、それは果たしてどこまで純粋な対話であり続けられるのか。これは、どんなに志の高い表現者にとっても、重い問いです。

「偽善」を引き受ける覚悟

 では、この構造的な矛盾の中で、表現者はどう生きるべきなのでしょうか。

 音楽家の坂本龍一は、晩年の著書『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の中で、自身の社会活動(環境問題や震災後の支援活動)について、静かにこう語っています。

 「たとえ偽善だと批判を受けても、それによって社会が少しでも良くなるなら、いいんじゃないかと。エコロジーへの取り組みにしても、震災後の活動にしても、その信念に支えられています」

 「偽善かもしれない」「結局は自分の名声のためではないか」。

 そんな外野からの批判や、自身の内なる葛藤を、出発点から引き受ける覚悟です。完全に純粋無垢な存在になどなれないことを認め、矛盾を抱えながらも、それでも行動し続けるという強さがそこにあります。

 しかしながら、私は坂本龍一の実際の行動を見聞きして、彼が札幌国際芸術祭のコミッショナーに任命されたことで、メールで売り込んでみたりした経験での感想のですが、坂本龍一は、何かいつも、『皆で苦労して組織を作り、盛り上げての活動』の大規模集会やデモにおいて、メーンイベントの最も目立つところでさっそうと現れ、『格好いい決め台詞ならぬ決め演説』をしてニヒルに去っていくのを何度も見ていて、美味しいところをかっさらっていくトンビという印象がぬぐえないのです。

 これは、『自衛隊海外派遣法反対、違憲主張の大規模集会』に坂本龍一とともに登壇した大江健三郎にも同じ印象を持ちました。
 
 まるで、球場のダグアウトに用意された軽食コーナーで三角形のスイカの天辺の『一番甘くて美味しい部分』のみと次々と食べて天辺を手で直して去る長島茂雄のようです!笑。

 少しだけしか接触したことなかった坂本龍一は、自分の名声や名誉に寄与しない相手は無視するなど、すごく冷淡な感じを受けました。

 もちろん『何もしないお前がいうな!』と言われればそれまでですが、彼や大江健三郎がこの『自衛隊海外派遣法は違憲主張の大規模集会』で、その前に手伝ったのか?その後もできるだけのフォローや有名人ゆえの広報活動を、組織の皆と連携してしたのか?という疑問があります。

 それでは、3.11関連でベネチアヴィエンナーレを受賞した伊東氏と田中功起氏の出品内容、その後の被災地などへの影響を、坂本龍一の『ZERO LANDMINE』プロジェクトの内容とその後の世界への地雷ゼロへの効果を調べてみました。

ヴェネツィアで受賞した「みんなの家」は、その後どうなったか――伊東豊雄・田中功起の出品内容と、被災地への影響

はじめに

 東日本大震災の直後に、この2人がヴェネツィア・ビエンナーレの受賞での実態を検証しましたね。2012年の国際建築展で日本館が最高賞を取った「みんなの家」プロジェクトです。

今回はもう一歩踏み込んで、

  1. 伊東豊雄さんは何を出品したのか
  2. 翌2013年に田中功起さんは何を出品したのか
  3. 展示のあと、実際の被災地(陸前高田)では何が起きたのか

を確認できる記録に限ってたどります。

2012年:伊東豊雄が出品したもの(国際建築展・日本館)

 第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展(2012年)。日本館のコミッショナー(責任者)が伊東豊雄です。

 テーマは「Architecture. Possible Here? ― Home-for-All」(邦題「ここに、建築は、可能か」)。

 展示したのは、津波で街を失った陸前高田に建てた仮設集会所「みんなの家」の設計過程の記録でした。

 「みんなの家」は、伊東豊雄の呼びかけに建築家4人(伊東・乾久美子・藤本壮介・平田晃久)が共同設計し、陸前高田出身の写真家・畠山直哉さんも加わって、地元の人たちと話し合いながら建てたもの。津波の塩害で立ち枯れた気仙杉19本を柱に使い、中田英寿をはじめ国内外の個人・団体の寄付で建設されました。プロジェクト全体では、東北に16軒が建てられています。

 この日本館が、最高峰の「金獅子賞(最優秀国内参加賞)」を受賞しました。

  このプロジェクトの背景と意義をまとめた解説映像です。

 トップダウンで「与える」建築ではなく、コミュニティと共に「生み出す」建築への転換が語られています。

 翌2013年、田中功起が代表を務めたヴェネチア・ビエンナーレ美術展の日本館では、この伊東豊雄の展示で使われた丸太の柱やスツールなどの資材が、意図的に引き継がれて再利用されました。建築から美術へ、震災と人々の協働」というテーマがバトンタッチされたという意図のようです。

2013年:田中功起が出品したもの(国際美術展・日本館)

 まず大事な確認をひとつ。この出品は2012年の建築展とは別の回(翌年の国際美術展)で、受賞も別々です。2012年は建築展の金獅子賞、2013年は美術展の特別表彰。この2つはよく混同されます。

 第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展(2013年)。

 日本館は田中功起さんの個展でした(キュレーター:蔵屋美香)。
タイトルは「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts」。
展示の中身は、こんな作品群です。

  • 「9人の理容師が同時に1人を切る」
  • 「5人のピアニストが同時に1台を弾く」
  • 「5人の詩人が同時に1つの詩を書く」
  • 「5人の陶芸家が沈黙のまま1つの壺を作る」


 つまり見知らぬ人たちが、同時に一つのことを試みる過程を記録した映像です。加えて、非常食を食べながら自分の名前について語る、夜の道を懐中電灯を振って歩く、といった小さな実験の記録も並びました。

 だから、3.11を直接描いた作品ではありません。

 ただしキュレーターの解説は、震災後の社会で「協働」とは何かを間接的に問う試みとして、この展示を説明しています。

 受賞は「特別表彰(Special Mention)」。

 表彰理由は「協働作業とその失敗に関する胸を突く省察に対して」でした。

 そして会場では、前年・2012年建築展の日本館で使われた丸太の柱や展示台が部分的に再利用されました。「建築展から同じ震災というテーマを引き継ぐことの意義」という理由による、象徴的なつながりです。

策略と美学の狭間で――「小賢しさ」のコンテンポラリー・アートと、災禍の中に咲かせる『花』

戦術としての現代美術――田中功起とヴェネツィアの「小賢しさ」

ミズマアートギャラリーから独立した「青山|目黒」のギャラリーオーナーが、田中功起を精力的に売り出そうとしていた――それが、私が田中さんを意識しはじめたきっかけでした。(ただし、青山|目黒のオーナーがミヅマアートギャラリーの出身であるかを裏づける資料は確認できませんでした。ここは私の記憶に基づく印象です。青山|目黒は2007年に現住所へ構え、オーナーは青山秀樹さんであることは確認できました 出典)

東京造形大学美術科絵画専攻を2000年に卒業し、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程を2005年に修了した田中さん 出典。当時の私には、曽根裕さんのように審査員受けする概念的な作品づくりに長けた、コンテンポラリー系の作家という印象でした。

そうこうするうちに、2011年3月11日の東日本大震災が起こります。
「次のヴェネツィア・ビエンナーレ日本館は、被災者とのコミュニケーションや共同作業、ボランティアとアーティストが何を残せるかというフィールドワークをテーマにし、賞を狙いにいくはずだ」――その予感は、確信へと変わりました。
 
 2013年の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の代表に選ばれたのは田中功起さんでした。

キュレーターは蔵屋美香さん(東京国立近代美術館)、展示タイトルは「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts(抽象的に話すこと ― 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)」、主催は国際交流基金です 出典。

 僕は、絶対賞を取りにいき、確実に獲れるだろうと確信しました。

 そして日本館は特別表彰(Special Mention)を受賞しました 出典。

 ギャラリーの後押しを受け、時代の要請(3.11)をすくい取った展示で結果を出した――国際展の審査基準を熟知した、狡猾とも言える戦略であり、必然の戦術だったと私は見ています。

 (もっとも「ギャラリーの後押しが受賞に直結した」という因果は私の推測であって、確認された事実ではありません。また展示そのものは、震災を直接には扱っていません 出典。)

 それでも同時に、「なんと小賢しいのだろう」という苦笑いに似た感情を、私は抑えることができませんでした。

 これは、他国のヴェネチア出展者。関係者ともそう感じていたでしょう。

 まあ、当然だよね。と。

「村上隆を抜いてみせます」――若き野心とプロの現実

 田中さんの受賞後、田中さんについて調べる中で、私はある逸話を目にした記憶があります。

 かつて村上隆の展覧会パーティーの場で、田中功起が新日本プロレスの長州力や藤原喜明のような「問答無用のテロリスト」よろしく、村上さんに噛み付いたというものです。

「俺、村上さんを抜いてみせますから。近いうちに抜いてみせますから!」

 突如としてまくし立てられた常識人の村上さんは、

 「君は何をいきなりやってきて失礼じゃないか!」と諭したと言います。

 のちにヴェネツィアで受賞を果たした田中さんは、当時の自分の身の程知らずで大人げない行動を、直接謝罪した――とされています。

これはネット記事で見た覚えがあるので、事実でなかったら御免なさい。でもたしかそうだったと記憶してます。

 そのうえで推測するなら、3.11の前から、ヴェネツィア出品への道筋はある程度見えていたのかもしれません。

 では、もし自分に「ヴェネツィアで日本代表として作らないか」という話が来たらどうするか。

 答えはひとつ――**「引き受けますとも!」**です。

 元プロ野球選手の張本勲さんは、生前、著書の『最強打撃力 バットマンは数字で人格が決まる』で書いている通り、メジャー挑戦について「それでも行きますわね。給料が10倍、15倍違うから」と語っていました 出典(張本さんは2026年9月9日に86歳で亡くなられました 出典 出典)。

 ヴェネツィアで受賞すれば、その瞬間から世界のギャラリーやキュレーターからオファーが殺到し、作品価格は何倍、何十倍にも跳ね上がるのは間違いありません。

 しかし問題は賞を獲るために、自分が本当に作りたいわけではない「政治的・社会的文脈に沿った作品」を作り続けることに耐えられるか。私の性格では、途中で投げ出してしまうかもしれない。それでも、何とか妥協点を探るでしょうねえ。

やり遂げるにしてもヘトヘトになるか、コミッショナー・ディレクターと怒鳴りあいの喧嘩になるか?

瓦礫と戦場の中で、人は何を求めるのか

 もし自分が同じ立場に立ったなら、政府や行政への異議申し立てとしての表現ではなく、日本画家の千住博が災禍のあとに提示したような「美しいもの」を作るだろう――そう思います。

 千住博は3.11の後を、「日本の人たちはみな傷ついていました。芸術家たちも『自分たちは無力かもしれない』と意気消沈して」いたと振り返り、その衝撃から断崖や滝のシリーズが生まれたと語っています
 出典。

 被災地の復興支援では、富士山・大樹・泉と鹿をテーマに据え、大樹の作品では「花」のデザインを全国から募った取り組みもありました 出典。

 現在進行形で惨劇が続くガザの情勢に対しても、残酷な現場を直接描いてイスラエルのネタニヤフ首相やアメリカに抗議する手法を、自分のやり方として取ることはできません。

 「人間の本性とは、かくも残酷で醜いものなのか。もちろんあらゆる動物よりも一億倍は痴悪」という現実を、毎日ストレートに見せつけられることは耐えがたい。

 まさに「美しいものが何のない」からです。

 私の作品に「大富豪は時戦争を熱望する」という作品がありますが、描くのに3年近くかかりました。

 この描いていた武器や戦闘の光景が見たくなくて、キャンバスに向かうごとに30秒とかからず眼をそらしてしますからです。
 

『花』と禅によって心を止めることこそが効果的なレジスタンスである

 例えば日本の花道の『花』をテーブルに置かれたもの提示されたとき、殺戮と保身の理屈を並べ立てるネタニヤフ首相、イタマル・ベン=グヴィル国家安全保障相、ベザレル・スモトリッチ財務相らはカメラに向かって、一瞬で手で破壊してしゃべり続けるでしょうねえ。

 破壊と殺戮を繰り返す権力者たちは、それを「こんなもの」と手で蹴散らし、政治や自己保身のために泡を吹いて語り続けるでしょう。

  私はイスラエルとアメリカに対する抗議の作品などは、被災や政府や県の行政、対策に異議申し立てするのではなく、被災者が千住博に言ったように「美しいもの」を作るでしょうねえ。

 例えは創作の生け花の絵画やインスタレーションのような。
 
 先にも書いた通り、今ガザを直接描いてネタニヤフとイスラエル・アメリカに抗議するのは、私のやり方としては耐えられない。

 かくも災害や人間とは醜いのか?それが人間の性質なんだと、毎日見るのが嫌なのです。

 被災者の方が「美しいものをみたい」「美しい美術品がみたい」というのは、ずばり間違いなくこの意味ですよ。。

 戦場と廃墟、瓦礫の山、苦しみと絶望に蠢く光景で見たいのは『花』である。

 その『花』を見て、『こんなこと』と手でけちらして、政治や自己の延命の方法について延々と口から泡飛ばして話まくるネタニヤフやイタマル・ベングビール、ベザレル・スモトリッチらを世界に見せることこそ、真のレジスタンスではないか?

 心が止まることもない、延々と頭の中は自己の生き残りと、権力闘争、金と賞賛への煩悩に一瞬も休むことなくヘブライ語という戦後、学者が作った人工語で会話しあう人工集団の連中の『無教養』ぶりこそが、彼らが世界に対してかくべき大恥なのだと思います。

 たかが90年しか歴史をもたない、聖書以外の長い歴史による文学などの文化をもたない、出自があいまいなグループの。

その後①:陸前高田の「みんなの家」の行方

 仮設住宅があった間、キッチンを備えた2階建ての建物は、集会場・安らぎの場として地元の人たちに使われました。

 2016年、復興の目玉だった「土地のかさ上げ工事」のために解体されます。被災地の復興事業そのものによって、「みんなの家」は一度消えることになりました。

 けれども部材(気仙杉の柱など)は捨てられず、保管されました。

 そして2022年、平田晃久さんを中心に、陸前高田駅近くの中心市街地へ再建。隣には総菜テイクアウト店「和笑輪」が新設され、イートインスペースや休憩所、震災の記憶を伝える場所として再出発しました。再建費は、市の移転補償費と中田英寿さんからの寄付などに支えられています。

 ただし、高さ10メートル超の「物見台」とバルコニーは金属床材が調達できず、約200万円の寄付を募って「一旦、床を貼らない状態」での竣工となりました。「世界が注目した建物」の維持は、結局、地元の人たちの手と寄付にかかっているのです。

その後②:「みんなの家」の発想は熊本へ広がった

 熊本県は、くまもとアートポリス事業の一環として、東日本大震災の「みんなの家」の発想を取り入れました。

 そして熊本地震(2016年)では、応急仮設住宅110団地4,303戸のうち、団地にある84棟の談話室・集会所をすべて木造の「みんなの家」として整備したのです。

 80戸以上の大規模団地に建った8棟は、伊東さん自らが設計者を選定し、入居者とワークショップしながら設計を進めました。

 仮設団地の閉鎖後は、公民館や放課後児童クラブなどへ移築して、今も利活用されています。

「受賞は復興を促進したのか?」――ここは正直に

 ネットでは「受賞のおかげで復興が進んだ」という言われ方をしますが、確認できる記録は、もう少し慎重なものです。

  • 確認できること:「仮設住宅に、人が気軽に集まる場が必要だ」という伊東豊雄たちの実践が、熊本県の事業として制度化され、84棟すべてに広がったこと。建物は解体されても部材ごと受け継がれ、10年後に街なかに再建されたこと。
  • 確認できないこと:金獅子賞受賞が寄付を増やした、復興を速めた、といった因果関係です。今回調べた一次資料(運営団体の公式ブログ・地元紙・熊本県)のどこにも、その記述はありませんでした。熊本県の資料も「伊東氏の提案」に言及するだけで、受賞には触れていません。

 つまり、「受賞したから復興が進んだ」のではなく、現地で対話を続けて建物を作った実践そのものが、次の災害の標準になった、ということです。

 受賞はその実践を世界に伝える場でした。復興を動かした本体は、ヴェネツィアではなく、陸前高田と熊本にあります。

「地雷ゼロの歌」は世界を変えたのか――ZERO LANDMINEから25年、確認できる成果と、確認できない効果

はじめに:あの歌から25年


 前回の記事で、坂本龍一のこんな言葉を引きました。

「たとえ偽善だと批判を受けても、それによって社会が少しでも良くなるなら、いいんじゃないかと。エコロジーへの取り組みにしても、震災後の活動にしても、その信念に支えられています」

 この言葉の具体的な実例としてよく挙げられるのが、2001年の「地雷ZEROキャンペーン」とチャリティーソング「ZERO LANDMINE」です。

 よく言われる話があります。「このイベントのおかげで、世界中で地雷への反感と危機意識が高まり、撤去活動への寄付が増え、各国の指導者や軍の意識さえ変わった」と。

 25年たった今、これは本当なのか。記録に残っている成果と、残っていない効果を、分けて確かめてみます。

ZERO LANDMINEとは何だったのか

 まず、確認できる範囲で概略を並べます。

  • きっかけ:TBSの開局50周年記念事業として「地雷ゼロキャンペーン」が実施されました。

     運営母体は「地雷ゼロキャンペーン委員会」で、TBSと、ワーナーミュージック・ジャパン、日音、そしてNGOのAAR Japan[難民を助ける会]がメンバーでした。

  • 番組:2001年4月30日、TBS系で特別番組『地雷ZERO 21世紀最初の祈り』が生放送されました(JNN系列28局ネット)。
  • 楽曲:坂本龍一さんの呼びかけで結成されたチャリティーユニット「N.M.L.(NO MORE LANDMINE)」名義で、シングル「ZERO LANDMINE」が2001年4月25日に発売されました。国内外のミュージシャンが集結し、モザンビークでは地雷除去本部を仮設のスタジオにしてレコーディングまで行われています。
  • ヒット:2001年5月14日付オリコン週間シングルチャートで初登場1位、2週連続の週間1位を獲得。年間では28位でした。
  • お金の流れ:CDの売上収益は全額が寄付され、地雷除去の費用に充てられました。ワーナーミュージック・ジャパンから地雷ゼロキャンペーン委員会には「これまでに確定した約1億円」の寄付目録が贈られています。
     寄付はAARを通じて、イギリスの地雷除去専門団体「ヘイロー・トラスト」と「MAG」に託され、カンボジア、アンゴラ、ジョージア、モザンビークの地雷除去作業に使われました。

 番組が放送され、曲がオリコン1位になり、収益が全額寄付されて、4カ国の地雷除去に使われた――ここまでは、すべて記録で確認できる事実です。
では、問いの部分に入ります。

検証①:「地雷への反感・危機意識」は高まったか

 
 2001年当時、日本でこれほど大きな規模で地雷問題が身近になったことは間違いありません。

 チャリティーソングがオリコン初登場1位になるというのは、地雷問題が数週間、日本の音楽チャートの頂点にいた、ということでもあります。

 国内の「意識が一斉に照らされた瞬間」があったこと自体は、疑いようのない事実だと思います。

 しかし、難しいのはその先です。

 「意識が高まった」という状態を、後から数字で確かめることは、今回の調べではできませんでした。当時の意識調査との比較データも、キャンペーンと意識変化を結ぶ研究も、私が確認した範囲では見つかりません。

 さらに、世界の現状は厳しいものです。

 地雷・爆発物監視団体の最新報告(Landmine Monitor 2025)によれば、2024年1年間に6,279人が地雷や戦争残留爆薬で死傷し、52の国と地域が今も影響を受けています。最も被害が大きいのはミャンマー(2,029人)、シリア(1,015人)、アフガニスタン(624人)、ウクライナ(293人)、イエメン(247人)です。

 対人地雷を使用しているのは、条約に加盟していないミャンマーやロシア、イラン、北朝鮮などです。

 つまり、25年前に世界が「これから減らしていこう」と約束したはずのものが、いま再び広がっています。

 「反感・危機意識」は、一度高まれば終わりではなく、世代を超えて維持しない限り勝手には残らない――それが2020年代の実態です。

検証②:地雷撤去の意識と寄付は増えたか

ここは、もっとも成果がはっきり見える部分です。

  • 寄付は実在した:CD売上収益の全額と寄せられた寄付が、4カ国の地雷除去に実際に使われました。
  • 成果の実例:キャンペーンの資金が使われた対象地の一つ、モザンビークでは、2015年9月に「地雷ゼロ」が達成されました。かつて世界有数の地雷埋設国だった国から、地雷がなくなったのです。
  • 窓口は約19年続いた:地雷ゼロキャンペーン委員会の収支報告は2001年4月から2020年3月分まで残っています。つまりこのキャンペーンは単発のイベントで終わらず、寄付の受け皿が20年近く続き続きました。

 一方で、正直に言うべき点もあります。「キャンペーン前と比べて寄付が増えた」という比較データは、今回見つかりませんでした。「ゼロから約1億円という寄付を作った」こと、そしてその寄付が現地の除去作業に変わったことまでは確認できます。そこから先の「増大」を語るには、データが足りません。

 なお、モザンビークの除去実績としてよく引用される数字(ヘイロー・トラストが1,600人以上の現地スタッフを雇い、1,700万平方メートル以上の土地の安全を確保、17万1,000個の地雷を除去)は、同団体のモザンビーク全体での実績であり、ゼロキャンペーンの寄付だけで成し遂げた数字ではない点も、正確にお伝えしておきます。

キャンペーンの資金は、この大きな流れの一つの支えでした。

検証③:各国指導者や軍の意識は変わったか

 ここには、見落としやすい「時間の罠」があります。

 地雷を禁止する国際条約「対人地雷禁止条約(オタワ条約)」は、1997年12月に署名が開始され、40カ国の批准を経て1999年3月1日に発効しました。日本も1997年12月3日に署名し、1998年9月30日に批准しています。

 つまり、条約も批准もすべてZERO LANDMINEの前にある。

 「このキャンペーンが各国を動かして条約が生まれた」という書き方は、時系列からして成立しません。

 キャンペーンが担ったのは、条約が生まれた後の「普及と資金」の部分です。この区別は、大事だと思います。

 では、条約後の意識は正しい方向に進んだのかというと、ここも厳然とした逆風があります。

 ロシアによるウクライナ侵攻以降、安全保障環境が変わったことを理由に、2025年に入ってエストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、フィンランドの欧州5カ国が、相次いでオタワ条約からの離脱を決めました(3月18日にエストニアなどが離脱を表明、フィンランドも4月1日に離脱準備を発表)。条約加盟国は165カ国ありますが、その枠組みそのものが、いま揺れています。

 指導者や軍の意識を動かす最大の力は、美しい音楽でも世論の啓発でもなく、隣国の脅威である――2025年の欧州は、それを示していると思います。キャンペーンが指導者を変えた、という証拠は見つかりませんでした。

 変わるとしても、悪い方向には一瞬で変わるのです。

まとめ:「装置」が残せるもの、残せないもの

 当サイトでは、芸術をこう定義しています。

 「芸術とは何か訴えたいことの表現であり、対話や議論を生むための装置である!」

 この「装置」の実力を、二つの事例で検証してきました。

 建築の「みんなの家」(伊東豊雄たち、2012年ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞)と、音楽の「ZERO LANDMINE」(坂本龍一プロデュース、2001年)です。

 まず、装置が残せなかったものから言います。

 みんなの家を世界に見せた「受賞」が、被災地の復興を直接速めたという記録は、どこにもありません。

 ZERO LANDMINEはオリコン1位になって、数週間、国中の耳に地雷問題を届けました。

 しかし「より啓蒙された人々の意識」を数字で確かめることはできませんでした。

 25年後のいま、地雷の被害はむしろ再拡大し、欧州の国々は条約から手を引いています。意識は、自動保存されない。指導者や軍を動かすのも、美しい音楽でも世論でもなく、隣国の脅威です。

 では、装置は何を残せるのか。

 建築は「場」を残しました。

 解体された「みんなの家」は、気仙杉の柱という部材になって保存され、10年後に街なかに再建され、その発想は熊本地震の仮設住宅84棟すべてに「みんなの家」として写されました。

 田中功起の2013年の展示も、前年の会場の部材を借りることで、「協働」という同じ問いを美術の側から引き継ぎました。

 音楽は「実金と窓口」を残しました。CD収益の全額寄付という仕組みと、約1億円という実金。約19年続いた寄付の窓口。そして2015年、モザンビークから地雷が「ゼロ」になったという、確認可能な到達点です。

つまり、こうまとめられます。

 装置は、意識を啓蒙でき向上させたかどうかは不明である。

 装置が保存できるのは、場と形と実金――そして、それを次に渡す窓口である。

 震災で除去された土地は戻りません。一度作った「対話の場」を、どう記憶として保存し、次の災害へ受け渡すか。それが、この10年の答えでした。

「偽善でもいい、社会が少しでも良くなるなら」と言って歌を作った結果、4カ国の土地から地雷が減り、1カ国でゼロが達成された。対話を生む装置は、風化する意識の代わりに、確かなものを残す。

それが、この二つの物語が教えてくれたことです。
 
 繰り返しますが、芸術は千住博が定義した『コミュニケーション』そのものではない。
 
 今回のような作例は、被災者や被害者の救済の向上や被災者心理の、戦争加害者の意識の悲惨さについて、我々の認識を高めることを目的とした意志の表現であり『コミュニケーションンを促進し巻き起こすための装置』ですよね?

芸術は政治や社会を動かすには無力か?

「音楽は世界を変えられない」という命題

「音楽で世界は変えられないんでね。歌は世につれるけど、世は歌につれないから」

 山下達郎さんが2022年のNHK-FMで語ったこの言葉は、芸術の限界を突く鋭い視点です。彼は続けて、音楽はあくまで音楽であり、プロパガンダとして社会を動かす道具にしたくないという自身の主義を明かしています。

 実際に行っているチャリティーも「人に言う問題ではない」として、黙って続けるのだと 出典。

 大災害の直後や、生命の危機、肉体的な激痛を前にしたとき、音楽や絵画が直接的に空腹を満たすことも、傷を癒やすこともできない。その意味において、芸術はたしかに無力です。

 この「無力」を、誰よりも痛切に知る表現者がいます。長年、政治的な作品を発表し、当局に拘束された現代美術家アイ・ウェイウェイは、こう明言しています。

 「芸術家は戦争を止めることはできません。(中略)その意味において、芸術は無力と言えるかもしれません」出典

 しかし、もし芸術が本当にそれほど弱く、無力なだけの存在なのだとすれば、一つの大きな矛盾が生じます。

 なぜ歴史上の権力者たちは、これほどまでに芸術家を恐れ、弾圧してきたのでしょうか。

権力者はなぜ芸術を恐れるのか――歴史が示す「影響力」

 歴史を振り返れば、芸術が人間の意識と行動を変える巨大な「力」を持っていることは明らかです。

 

  • ジョン・レノンとFBI:愛と平和を歌い、反戦運動の象徴となったジョン・レノンは、当時のニクソン政権とFBIから執拗な監視・尾行を受け、移民局による国外退去手続きまで課されました 出典。

     そして最後は、凶弾に倒れます。ただの「無力な歌」であれば、国家権力が監視網を敷く必要はありません。

  • ヒトラーの「退廃芸術展」:ナチス・ドイツは、カンディンスキー、パウル・クレー、マックス・エルンストらの前衛芸術を「退廃芸術」とレッテルを貼って弾圧し、1937年にはミュンヘンで見せしめの展覧会を開きました 出典。
     カンディンスキーはフランスへ、クレーはスイスへと亡命を余儀なくされています 出典。
     独裁者は、多様な価値観を生む近代芸術が、全体主義を脅かすことを熟知していました。
  • 言葉と表現を封じた独裁国家:旧ソ連は、強制収容所の実態を告発したノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンを、1974年に市民権を剥奪して西ドイツへ追放しました 出典。

     また、中国共産党は、民主化を訴えたノーベル平和賞受賞者の劉暁波を投獄し、釈放することなく2017年に獄中で死に至らしめています 出典。

  • アイ・ウェイウェイの拘束:中国の現代美術家アイ・ウェイウェイは、四川大地震で手抜き工事(いわゆる「豆腐建築」)により倒壊した校舎の犠牲者を独自に調査・記録し、体制批判をアートとして展開しました 出典。

     その結果、2011年に脱税容疑で逮捕され81日間拘束され、のちに国外へ拠点を移すことを余儀なくされました 出典。

 これらの事実は、芸術家や表現者が、民衆の意識を覚醒させる「教育者」あるいは「ジャーナリスト」として、権力体制を揺るがすほどの影響力を持つことを証明しています。

 芸術を「無力」と呼んだアイ・ウェイウェイ自身が、実は有力であるがゆえにこそ国家から最も危険視された、という逆説に注目すべきでしょう。

 意識を変える「装置」製造者としての芸術家は、一部の「芸術は無力だ」という言説に引きずられることなく、芸術家が社会に及ぼす影響力を正確に認識しなければなりません。

ユングが指摘した「教育者」としての芸術家

 心理学者のカール・グスタフ・ユングは、芸術家と社会の関係について深い洞察を残しています。

 ユングの文芸論では、芸術家は「無意識の中から、時代精神の偏りや一面性を最も効果的に補償するのに適した原像(元型)を探し出してくる」存在だと論じられています 出典。

 この文章でのユングの視点に基づけば、芸術家とは「その時代や社会が無意識の底で求めているものを、作品としてすくい上げる存在」です。

 ユングは「芸術家は物事の真実、真相を政治家や権力者を怒らせずに民衆に表現して提示できる唯一の存在である」といい、 既存の政治や権力が硬直化し、社会が精神的なバランスを崩しているとき、芸術家は真実を表現することで、人類を啓発する「教育者」としての重大な責務を担うといっています。

 芸術家の使命は教育であり、その背負った荷物は重いと!

 時にそれは権力者の逆鱗に触れる危険な行為となります――先に挙げた弾圧の歴史がその証左です。

 それでも、人間の本質や時代の深層を、直接的な政治的対立を超えた「普遍的な表現」として提示できるのは、芸術家をおいてほかにありません。

まとめ

 物理的な傷を治す薬としての即効性を持たないという意味で、芸術は無力かもしれません。

 しかし、人々の意識の底に種をまき、体制を揺るがし、社会が向かうべき方向を指し示す「精神のインフラ」としては、これほど強力なものはありません。

 25年前の地雷除去のチャリティーソングも、震災後のベネチア・ビエンナーレの展示も、その巨大な歴史の文脈のなかに確かに位置づけられているのです。

主な出典

  • 国際交流基金「第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展 日本館(2012年・金獅子賞受賞)」:jpf.go.jp
  • 国際交流基金「第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展 日本館(2013年・特別表彰)」:jpf.go.jp
  • 2013年日本館キュレーター解説(蔵屋美香・PDF):2013.veneziabiennale-japanpavilion.jp
  • Home For All 公式ブログ(再建と寄付のお願い、2022年):home-for-all.org
  • 東海新報「みんなの家まちなかへ 6年越しの再建」(2022年9月1日):tohkaishimpo.com
  • 熊本県「みんなの家」移築利活用プロジェクト:pref.kumamoto.jp
  • 九州技報77号「熊本モデル」(84棟の記述):k-keikaku.or.jp
  • StoryNews 伊東豊雄インタビュー(東北16軒、2023年4月):storynews.jp
  • 政府広報オンライン 2017年11月号(みんなの家16軒):gov-online.go.jp
  • OPENERS「第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展 日本館」:openers.jp
  • ウィキペディア「ZERO LANDMINE」(リリース日・チャート・収益の行き先):ja.wikipedia.org
  • TBS「開局50周年記念・地雷ゼロキャンペーン」公式:tbs.co.jp、同・収支報告:tbs.co.jp/repo
  • TBS(ワーナーミュージック・ジャパンから約1億円の寄付目録):tbs.co.jp/info_m
  • AAR Japan[難民を助ける会]「モザンビークで『地雷ゼロ』を達成しました」(2015年):aarjapan.gr.jp
  • BARKS(TBS開局50周年特別企画『地雷ZERO 21世紀最初の祈り』放送情報):barks.jp
  • 外務省「地雷問題・対人地雷禁止条約(オタワ条約)の概要」:mofa.go.jp、同(日本の署名・批准):disarm.emb-japan.go.jp
  • Landmine Monitor 2025(2024年の死傷者6,279人・使用国):icblcmc.org、the-monitor.org
  • 国別の被害内訳(ミャンマー2,029人ほか):ヒューマン&インクルーシブ
  • Human Rights Watch「Five European States Withdraw from Mine Ban Treaty」(2025年):hrw.org
  • 英国議会研究資料(2025年3月18日エストニアなど離脱表明):commonslibrary.parliament.uk
  • Landmine Monitor(フィンランド、2025年4月1日離脱準備発表):the-monitor.org

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