今も実感していることですが、日本のアート界も世界アートの世界も、未だに「絵画は動かないもの。それで良い」という既成観念で動いています。
絵画と音楽の関係について言及する人も、両者に共通する明確な物理学的な法則にていては思いを致していません。
恐らく「そんなものは存在しない」と思い込んでいるのでしょう。
昨年、日本アート教育振興会(JEARA)が開催したサイモンコスグローブ女子美術大学助教による『美大助教授から学ぶ“創造性を高める音と色の関係”』というセミナーでも、絵画の音楽への翻訳は『共感覚』や『印象』を使って実践するという恣意的なものでした。
ロックや日本のポピュラー・ミュージックの大ファンだった私は、絵画が動かない事。絵画に、ロック・コンサートがもたらす興奮や一緒に踊れる躍動感、時間とともに変化するシチュエーションがないのがたまらなくつまらなく感じました。
それは許しがたいことでした。
これはパウル・クレーが「モーツアルトなどの音楽を聴いた後に絵画を観ると苦笑いせざをえない」といったのと同じ心境です。
こういった理由から、クレーやカンディンスキーは絵画の音楽状態を実現することを生涯の仕事とします。
ところが、この2人の作品でも絵画の音楽状況は実現できませんでした。
その話は次回お話します。
本当に動かないアート作品で満足ですか?
音楽業界の配信にインターネットが使われCDを購入する必要がなくなってから、大衆音楽の主要な収入源がコンサートとなります。ビートルズやクイーン、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンなどが登場した60年・70年代は高収入の代名詞がロックスターでした。
ダイアー・ストレイツ(Dire Straits)の『 Money For Nothing』という曲はそんなロックスターの羽振りの良さへの羨望の曲ですね。
しかし、音楽が複製自由となった頃から、一躍千金をめざして音楽界のスターをめざす音楽的才能のある若者は激減したように思います。
そのせいで、TVやラジオからかつてのTBS『ザ・ベストテン』といった音楽番組が激減し国民的ヒット曲というのも無くなりました。
やはり才能というものは富のある方に向かうのだと思います。
※アイキャッチ画像は『1966のビートルズ日本公演』の様子。この講演は実際はセミの大合唱のような余りの歓声で歌がほとんど聴き取れませんでした。
ちなみに前座はいかりや長介率いるドリフターズでした。
ダミアン・ハーストやバンクシーの作品が動かないものであることに多くの人は疑問を持たない!
今日ダミアン・ハーストやバンクシーの作品が動かないものであることに多くの人は疑問を持ちません。
この30年は世界的なアートブームですが、それはネットとグローバル・自由主義経済の成長とパラレルで進行してきました。
私は、今日特に若い人に聴きたいのですが、そんなにアートは魅力的で音楽はそれほど魅力的ではないのですか?
ビートルズやローリング・ストーンズ、クイーン、レッド・ツェッペリンへの彼らが登場したときの世界の熱狂は、言葉や映像で説明しても今の若い人には理解できないと思います。
それでもYou tubeで彼らの音楽と映像を視聴してみて下さい。そしてもう一度聴きたいです。
本当に「そんなにアートは魅力的で音楽はそれほど魅力的ではないのですか?」
芸術の目標は金銭ですか?
もう一つ言わせていただきます。
今日では若い人も投資としてアート作品を購入しています。
アートがブームになったのは、作品が一点物であり、コピーがきかないからです。
それに、金余りと一部の人間への富の集中が起こったことと、ミニマム・アートなどのコンセプチュアル・アートが主流だったアート界に具象画が復権して、多彩で分かりやすく魅力的な作品を作るアーティストが多くなったことが重なり、現代アートが高額に取引されるようになったわけです。
しかし音楽が偉大だった頃、ロックミュージックファンは、投資としてレコードを買った訳ではありません。
純粋に感動するから買った訳です。
芸術というものは心のうるおいであり、泉であり、教養であり、人生の目標を指し示すものではないでしょうか?
しかし、それさえも富への手段としてしまうのは本末転倒ではないでしょうか?
お金持ちが金では埋められない心の虚しさ、空白を埋めるためにアートに救いを求める。
しかし、それをもお金の維持と増大に使用する。
アートの効能と購入する行為とは別だと思います。
作家への応援や共感、毎日眺めて楽しみたいというなら良いのですが。