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【瓦礫と戦場の中で、人は花を求める!】・・・【PartⅢ】大規模災害・戦争から作られ話題となったヴェネチアビエンナーレ受賞展示! の記事のヘッダー画像

瓦礫と戦場の中で、人は何を求めるのか

 もし自分が同じ立場に立ったなら、政府や行政への異議申し立てとしての表現ではなく、日本画家の千住博が災禍のあとに提示したような「美しいもの」を作るだろう――そう思います。

 千住博は3.11の後を、「日本の人たちはみな傷ついていました。芸術家たちも『自分たちは無力かもしれない』と意気消沈して」いたと振り返り、その衝撃から断崖や滝のシリーズが生まれたと語っています。
 出典。

 被災地の復興支援では、富士山・大樹・泉と鹿をテーマに据え、大樹の作品では「花」のデザインを全国から募った取り組みもありました。出典

 現在進行形で惨劇が続くガザの情勢に対しても、残酷な現場を直接描いてイスラエルのネタニヤフ首相やアメリカに抗議する手法を、自分のやり方として取ることはできません。

 「人間の本性とは、かくも残酷で醜いものなのか。もちろん、あらゆる動物よりも一億倍は痴悪」という現実を、毎日ストレートに見せつけられることは耐えがたい。

 まさに「美しいものが何もない」からです。

 私の作品に「大富豪は時に戦争を熱望する」という作品がありますが、描くのに3年近くかかりました。

 描いていた武器や戦闘の光景を見たくなくて、キャンバスに向かうたびに、30秒とかからず目をそらしてしまうからです。
 

『花』と禅によって心を止めることこそが効果的なレジスタンスである

 例えば、日本の華道の『花』をテーブルに置かれたものとして提示されたとき、殺戮と保身の理屈を並べ立てるネタニヤフ首相、イタマル・ベン=グヴィル国家安全保障相、ベザレル・スモトリッチ財務相らは、カメラに向かって、一瞬で手で破壊してしゃべり続けるでしょうねえ。

 破壊と殺戮を繰り返す権力者たちは、それを「こんなもの」と手で蹴散らし、政治や自己保身のために泡を吹いて語り続けるでしょう。

 私は、イスラエルとアメリカに対する抗議の作品を作るにしても、被災地や政府・県の行政、対策に異議を申し立てるのではなく、被災者が千住博に言ったように「美しいもの」を作るでしょうねえ。

 例えば、創作の生け花の絵画やインスタレーションのようなものです。
 
 先にも書いたとおり、今、ガザを直接描いてネタニヤフとイスラエル・アメリカに抗議するのは、私のやり方としては耐えられない。

 かくも災害や人間とは醜いのか? それが人間の性質なんだと、毎日見るのが嫌なのです。

 被災者の方が「美しいものを見たい」「美しい美術品が見たい」というのは、ずばり、間違いなくこの意味ですよ。

 戦場と廃墟、瓦礫の山、苦しみと絶望にうごめく光景の中で見たいのは『花』である。

 その『花』を見て、「こんなこと」と手で蹴散らし、政治や自己の延命の方法について延々と口から泡を飛ばして話しまくるネタニヤフやイタマル・ベン=グヴィル、ベザレル・スモトリッチらを世界に見せることこそ、真のレジスタンスではないか?

 心が止まることもなく、頭の中は延々と自己の生き残りと権力闘争、金と賞賛への煩悩に支配され、一瞬も休むことなく、ヘブライ語という戦後に学者が作った人工語で会話し合う人工集団の連中の『無教養』ぶりこそが、彼らが世界に対してかくべき大恥なのだと思います。
 
 たかが90年しか歴史をもたず、聖書以外の長い歴史に基づく文学などの文化をもたない、出自があいまいなグループのことです。

その後①:陸前高田の「みんなの家」の行方

 仮設住宅があった間、キッチンを備えた2階建ての建物は、集会場・安らぎの場として地元の人たちに使われました。

 2016年、復興の目玉だった「土地のかさ上げ工事」のために解体されます。被災地の復興事業そのものによって、「みんなの家」は一度消えることになりました。

 けれども、部材(気仙杉の柱など)は捨てられず、保管されました。

 そして2022年、平田晃久さんを中心に、陸前高田駅近くの中心市街地に再建されました。隣には総菜テイクアウト店「和笑輪」が新設され、イートインスペースや休憩所、震災の記憶を伝える場所として再出発しました。再建費は、市の移転補償費と中田英寿さんからの寄付などに支えられています。

 ただし、高さ10メートル超の「物見台」とバルコニーは金属床材が調達できず、約200万円の寄付を募って「一旦、床を貼らない状態」での竣工となりました。「世界が注目した建物」の維持は、結局、地元の人たちの手と寄付にかかっているのです。

その後②:「みんなの家」の発想は熊本へ広がった

 熊本県は、くまもとアートポリス事業の一環として、東日本大震災の「みんなの家」の発想を取り入れました。

 そして熊本地震(2016年)では、応急仮設住宅110団地4,303戸のうち、団地にある84棟の談話室・集会所をすべて木造の「みんなの家」として整備したのです。

 80戸以上の大規模団地に建てられた8棟は、伊東さん自らが設計者を選定し、入居者とワークショップを行いながら設計を進めました。

 仮設団地の閉鎖後は、公民館や放課後児童クラブなどへ移築され、今も利活用されています。

「受賞は復興を促進したのか?」――ここは正直に

 ネットでは「受賞のおかげで復興が進んだ」という言われ方をしますが、確認できる記録は、もう少し慎重なものです。

  • 確認できること:「仮設住宅に、人が気軽に集まる場が必要だ」という伊東豊雄さんたちの実践が、熊本県の事業として制度化され、84棟すべてに広がったこと。建物は解体されても部材ごと受け継がれ、10年後に街なかに再建されたこと。
  • 確認できないこと:金獅子賞の受賞が寄付を増やした、復興を速めた、といった因果関係です。今回調べた一次資料(運営団体の公式ブログ・地元紙・熊本県)のどこにも、その記述はありませんでした。熊本県の資料も「伊東氏の提案」に言及するだけで、受賞には触れていません。

 つまり、「受賞したから復興が進んだ」のではなく、現地で対話を続けて建物を作った実践そのものが、次の災害の標準になった、ということです。

 受賞はその実践を世界に伝える場でした。復興を動かした本体は、ヴェネツィアではなく、陸前高田と熊本にあります。

「地雷ゼロの歌」は世界を変えたのか――ZERO LANDMINEから25年、確認できる成果と、確認できない効果

はじめに:あの歌から25年

 前回の記事で、坂本龍一のこんな言葉を引きました。

「たとえ偽善だと批判を受けても、それによって社会が少しでも良くなるなら、いいんじゃないかと。エコロジーへの取り組みにしても、震災後の活動にしても、その信念に支えられています」

 この言葉の具体的な実例としてよく挙げられるのが、2001年の「地雷ZEROキャンペーン」とチャリティーソング「ZERO LANDMINE」です。

 よく言われる話があります。「このイベントのおかげで、世界中で地雷への反感と危機意識が高まり、撤去活動への寄付が増え、各国の指導者や軍の意識さえ変わった」と。

 25年たった今、これは本当なのか。記録に残っている成果と、残っていない効果を分けて確かめてみます。

ZERO LANDMINEとは何だったのか

 まず、確認できる範囲で概略を並べます。

  • きっかけ:TBSの開局50周年記念事業として「地雷ゼロキャンペーン」が実施されました。

     運営母体は「地雷ゼロキャンペーン委員会」で、TBSとワーナーミュージック・ジャパン、日音、そしてNGOのAAR Japan[難民を助ける会]がメンバーでした。

  • 番組:2001年4月30日、TBS系で特別番組『地雷ZERO 21世紀最初の祈り』が生放送されました(JNN系列28局ネット)。
  • 楽曲:坂本龍一さんの呼びかけで結成されたチャリティーユニット「N.M.L.(NO MORE LANDMINE)」名義で、シングル「ZERO LANDMINE」が2001年4月25日に発売されました。国内外のミュージシャンが集結し、モザンビークでは地雷除去本部を仮設のスタジオにしてレコーディングまで行われています。
  • ヒット:2001年5月14日付のオリコン週間シングルチャートで初登場1位、2週連続で週間1位を獲得。年間では28位でした。
  • お金の流れ:CDの売上収益は全額が寄付され、地雷除去の費用に充てられました。ワーナーミュージック・ジャパンから地雷ゼロキャンペーン委員会には、「これまでに確定した約1億円」の寄付目録が贈られています。

     寄付はAARを通じて、イギリスの地雷除去専門団体「ヘイロー・トラスト」と「MAG」に託され、カンボジア、アンゴラ、ジョージア、モザンビークの地雷除去作業に使われました。

 番組が放送され、曲がオリコン1位になり、収益が全額寄付されて、4カ国の地雷除去に使われた――ここまでは、すべて記録で確認できる事実です。

 では、問いの部分に入ります。

検証①:「地雷への反感・危機意識」は高まったか

 
 2001年当時、日本でこれほど大きな規模で地雷問題が身近になったことは間違いありません。

 チャリティーソングがオリコン初登場1位になるというのは、地雷問題が数週間、日本の音楽チャートの頂点にいた、ということでもあります。

 国内の「意識が一斉に照らされた瞬間」があったこと自体は、疑いようのない事実だと思います。

 しかし、難しいのはその先です。

 「意識が高まった」という状態を、後から数字で確かめることは、今回の調査ではできませんでした。当時の意識調査との比較データも、キャンペーンと意識変化を結ぶ研究も、私が確認した範囲では見つかりません。

 さらに、世界の現状は厳しいものです。

 地雷・爆発物監視団体の最新報告(Landmine Monitor 2025)によれば、2024年の1年間に6,279人が地雷や戦争残留爆薬で死傷し、52の国と地域が今も影響を受けています。最も被害が大きいのはミャンマー(2,029人)、シリア(1,015人)、アフガニスタン(624人)、ウクライナ(293人)、イエメン(247人)です。

 対人地雷を使用しているのは、条約に加盟していないミャンマーやロシア、イラン、北朝鮮などです。

 つまり、25年前に世界が「これから減らしていこう」と約束したはずのものが、今、再び広がっています。

 「反感・危機意識」は、一度高まれば終わりではなく、世代を超えて維持しない限り、勝手には残らない――それが2020年代の実態です。

検証②:地雷撤去への意識と寄付は増えたか

 ここは、最も成果がはっきり見える部分です。

  • 寄付は実在した:CD売上収益の全額と寄せられた寄付が、4カ国の地雷除去に実際に使われました。
  • 成果の実例:キャンペーンの資金が使われた対象地の一つ、モザンビークでは、2015年9月に「地雷ゼロ」が達成されました。かつて世界有数の地雷埋設国だった国から、地雷がなくなったのです。
  • 窓口は約19年続いた:地雷ゼロキャンペーン委員会の収支報告は、2001年4月から2020年3月分まで残っています。つまり、このキャンペーンは単発のイベントで終わらず、寄付の受け皿が20年近く機能し続けました。

 一方で、正直に言うべき点もあります。「キャンペーン前と比べて寄付が増えた」という比較データは、今回見つかりませんでした。「ゼロから約1億円という寄付を作った」こと、そしてその寄付が現地の除去作業に変わったことまでは確認できます。そこから先の「増大」を語るには、データが足りません。

 なお、モザンビークの除去実績としてよく引用される数字(ヘイロー・トラストが1,600人以上の現地スタッフを雇い、1,700万平方メートル以上の土地の安全を確保し、17万1,000個の地雷を除去)は、同団体のモザンビーク全体での実績であり、ゼロキャンペーンの寄付だけで成し遂げた数字ではない点も、正確にお伝えしておきます。

 キャンペーンの資金は、この大きな流れの一つの支えでした。

検証③:各国指導者や軍の意識は変わったか

 ここには、見落としやすい「時間の罠」があります。

 地雷を禁止する国際条約「対人地雷禁止条約(オタワ条約)」は、1997年12月に署名が開始され、40カ国の批准を経て1999年3月1日に発効しました。日本も1997年12月3日に署名し、1998年9月30日に批准しています。

 つまり、条約も批准も、すべてZERO LANDMINEの前にある。

 「このキャンペーンが各国を動かして条約が生まれた」という書き方は、時系列からして成立しません。

 キャンペーンが担ったのは、条約が生まれた後の「普及と資金」の部分です。この区別は大事だと思います。

 では、条約後の意識は正しい方向に進んだのかというと、ここにも厳然とした逆風があります。

 ロシアによるウクライナ侵攻以降、安全保障環境が変わったことを理由に、2025年に入ってエストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、フィンランドの欧州5カ国が、相次いでオタワ条約からの離脱を決めました(3月18日にエストニアなどが離脱を表明し、フィンランドも4月1日に離脱準備を発表)。条約加盟国は165カ国ありますが、その枠組みそのものが今、揺れています。

 指導者や軍の意識を動かす最大の力は、美しい音楽でも世論の啓発でもなく、隣国の脅威である――2025年の欧州は、それを示していると思います。キャンペーンが指導者を変えた、という証拠は見つかりませんでした。

 変わるとしても、悪い方向には一瞬で変わるのです。

まとめ:「装置」が残せるもの、残せないもの

 当サイトでは、芸術をこう定義しています。

 「芸術とは何か訴えたいことの表現であり、対話や議論を生むための装置である!」

 この「装置」の実力を、二つの事例で検証してきました。

 建築の「みんなの家」(伊東豊雄さんたち、2012年ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞)と、音楽の「ZERO LANDMINE」(坂本龍一プロデュース、2001年)です。

 まず、装置が残せなかったものから言います。

 みんなの家を世界に見せた「受賞」が、被災地の復興を直接速めたという記録は、どこにもありません。

 ZERO LANDMINEはオリコン1位になり、数週間、国中の耳に地雷問題を届けました。

 しかし、「より啓蒙された人々の意識」を数字で確かめることはできませんでした。

 25年後の今、地雷の被害はむしろ再拡大し、欧州の国々は条約から手を引いています。意識は自動保存されない。指導者や軍を動かすのも、美しい音楽でも世論でもなく、隣国の脅威です。

 では、装置は何を残せるのか。

 建築は「場」を残しました。

 解体された「みんなの家」は、気仙杉の柱という部材として保存され、10年後に街なかに再建され、その発想は熊本地震の仮設住宅84棟すべてに「みんなの家」として写されました。

 田中功起さんの2013年の展示も、前年の会場の部材を借りることで、「協働」という同じ問いを美術の側から引き継ぎました。

 音楽は「実金と窓口」を残しました。CD収益の全額寄付という仕組みと、約1億円という実金。約19年続いた寄付の窓口。そして2015年、モザンビークから地雷が「ゼロ」になったという、確認可能な到達点です。

 つまり、こうまとめられます。

 装置は、意識を啓蒙できたか、向上させられたかは不明である。

 装置が保存できるのは、場と形と実金――そして、それを次に渡す窓口である。

 震災で失われた土地は戻りません。一度作った「対話の場」を、どう記憶として保存し、次の災害へ受け渡すか。それが、この10年の答えでした。

 「偽善でもいい、社会が少しでも良くなるなら」と言って歌を作った結果、4カ国の土地から地雷が減り、1カ国でゼロが達成された。対話を生む装置は、風化する意識の代わりに、確かなものを残す。

 それが、この二つの物語が教えてくれたことです。
 
 繰り返しますが、芸術は、千住博が定義した『コミュニケーション』そのものではない。
 
 今回のような作例は、被災者や被害者の救済の向上や被災者心理、戦争加害者の意識の悲惨さについて、我々の認識を高めることを目的とした意志の表現であり、『コミュニケーションを促進し、巻き起こすための装置』ですよね?

芸術は政治や社会を動かすには無力か?

「音楽は世界を変えられない」という命題

「音楽で世界は変えられないんでね。歌は世につれるけど、世は歌につれないから」

 山下達郎さんが2022年のNHK-FMで語ったこの言葉は、芸術の限界を突く鋭い視点です。彼は続けて、音楽はあくまで音楽であり、プロパガンダとして社会を動かす道具にしたくないという自身の主義を明かしています。

 実際に行っているチャリティーも「人に言う問題ではない」として、黙って続けるのだと語っています。出典

 大災害の直後や、生命の危機、肉体的な激痛を前にしたとき、音楽や絵画が直接的に空腹を満たすことも、傷を癒やすこともできない。その意味において、芸術は確かに無力です。

 この「無力」を、誰よりも痛切に知る表現者がいます。長年、政治的な作品を発表し、当局に拘束された現代美術家アイ・ウェイウェイは、こう明言しています。

 「芸術家は戦争を止めることはできません。(中略)その意味において、芸術は無力と言えるかもしれません」出典

 しかし、もし芸術が本当にそれほど弱く、無力なだけの存在なのだとすれば、一つの大きな矛盾が生じます。

 なぜ歴史上の権力者たちは、これほどまでに芸術家を恐れ、弾圧してきたのでしょうか。

権力者はなぜ芸術を恐れるのか――歴史が示す「影響力」

 歴史を振り返れば、芸術が人間の意識と行動を変える巨大な「力」を持っていることは明らかです。

  • ジョン・レノンとFBI:愛と平和を歌い、反戦運動の象徴となったジョン・レノンは、当時のニクソン政権とFBIから執拗な監視・尾行を受け、移民局による国外退去手続きまで課されました。出典

     そして最後は、凶弾に倒れます。ただの「無力な歌」であれば、国家権力が監視網を敷く必要はありません。

  • ヒトラーの「退廃芸術展」:ナチス・ドイツは、カンディンスキー、パウル・クレー、マックス・エルンストらの前衛芸術に「退廃芸術」のレッテルを貼って弾圧し、1937年にはミュンヘンで見せしめの展覧会を開きました。出典

     カンディンスキーはフランスへ、クレーはスイスへと亡命を余儀なくされています。出典

     独裁者は、多様な価値観を生む近代芸術が、全体主義を脅かすことを熟知していました。

  • 言葉と表現を封じた独裁国家:旧ソ連は、強制収容所の実態を告発したノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンの市民権を1974年に剥奪し、西ドイツへ追放しました。出典

     また、中国共産党は、民主化を訴えたノーベル平和賞受賞者の劉暁波を投獄し、釈放することなく2017年に獄中で死に至らしめています。出典

  • アイ・ウェイウェイの拘束:中国の現代美術家アイ・ウェイウェイは、四川大地震で手抜き工事(いわゆる「豆腐建築」)により倒壊した校舎の犠牲者を独自に調査・記録し、体制批判をアートとして展開しました。出典

     その結果、2011年に脱税容疑で逮捕され、81日間拘束され、のちに国外へ拠点を移すことを余儀なくされました。出典

 これらの事実は、芸術家や表現者が、民衆の意識を覚醒させる「教育者」あるいは「ジャーナリスト」として、権力体制を揺るがすほどの影響力を持つことを証明しています。

 芸術を「無力」と呼んだアイ・ウェイウェイ自身が、実は有力であるがゆえにこそ国家から最も危険視された、という逆説に注目すべきでしょう。

 意識を変える「装置」の製造者としての芸術家は、一部の「芸術は無力だ」という言説に引きずられることなく、芸術家が社会に及ぼす影響力を正確に認識しなければなりません。

ユングが指摘した「教育者」としての芸術家

 心理学者のカール・グスタフ・ユングは、芸術家と社会の関係について深い洞察を残しています。

 ユングの文芸論では、芸術家は「無意識の中から、時代精神の偏りや一面性を最も効果的に補償するのに適した原像(元型)を探し出してくる」存在だと論じられています。出典

 この文章でのユングの視点に基づけば、芸術家とは「その時代や社会が無意識の底で求めているものを、作品としてすくい上げる存在」です。

 ユングは「芸術家は物事の真実、真相を政治家や権力者を怒らせずに民衆に表現して提示できる唯一の存在である」と述べています。既存の政治や権力が硬直化し、社会が精神的なバランスを崩しているとき、芸術家は真実を表現することで、人類を啓発する「教育者」としての重大な責務を担うといっています。

 芸術家の使命は教育であり、その背負った荷物は重いのだと!

 時にそれは権力者の逆鱗に触れる危険な行為となります――先に挙げた弾圧の歴史がその証左です。

 それでも、人間の本質や時代の深層を、直接的な政治的対立を超えた「普遍的な表現」として提示できるのは、芸術家をおいてほかにありません。

まとめ

 物理的な傷を治す薬としての即効性を持たないという意味で、芸術は無力かもしれません。

 しかし、人々の意識の底に種をまき、体制を揺るがし、社会が向かうべき方向を指し示す「精神のインフラ」としては、これほど強力なものはありません。

 25年前の地雷除去のチャリティーソングも、震災後のヴェネツィア・ビエンナーレの展示も、その巨大な歴史の文脈の中に確かに位置づけられているのです。

★次ページ・・PartⅣに続く

★【このシリーズの他のページ】

【PartⅠ】大規模災害・戦争から作られ話題となったヴェネチアビエンナーレ受賞展示!―「トラウマ・オリンピック」、そして国際美術展の現実!(ページへ!)

【PartⅡ】大規模災害・戦争から作られ話題となったヴェネチアビエンナーレ受賞展示!「みんなの家」は、その後どうなったか――伊東豊雄・田中功起の出品内容と、被災地への影響!(ページへ!)

【PartⅣ】仏教の悟りとは何か?・・・・大規模災害・戦争から作られ話題となったヴェネチアビエンナーレ受賞展示!(ページへ!)
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