岡本太郎のキャラと思想がウルトラマンになった『TAROMAN』、7月18日からNHK Eテレで放送中! べらぼうなものを作ろう!

 こんな活劇があるとは知らなかった。

 岡本太郎のキャラと思想がウルトラマンになった『TAROMAN』。

 7月18日から前10回、Eテレで放送中だそうです。

 岡本太郎さんは高校時代に旭川東海大学の〇周年記念講演に来て、私も出席したのですがいたく感動しました。

 まず、自分から一方的に話すことを拒否して

「私があ~~だ、こうだと話しても意味がないと思う。

 皆さんの質問に答えますから、さあ、どんどん質問して!」

 と言って、その質問に答えていきました。

 最初の質問は

「私はどのようにアイヌ文化の振興のために活動していけば良いのでしょうか?」

 というもので、その返答ははっきりと覚えていない部分もありますがだいたいこんな感じでした。

「土着の文化を、その地方で広めれば名士のように褒められ誇らしくなるだろうと思っているんだろう?

 私はどんな活動も世界文化としてやって来た。

 旭川なんて小さな街に固執せずなぜ君は世界に打って出ようとしない。

 アイヌ文化をというなら、人に相談する必要などないじゃないか?

 自分で考えるまま自由にやれば良いではないか?」

 一番印象に残っている話にはこんな話があります。

「私はパリに行った時、こんなパリの日本人グループでは成功したくないと思った。

 シャンジェリゼでお茶を飲んで数人で話をしていると、一人がどこかに行くと、皆でその人物の悪口を言う。

 その人が帰ってきて、別な人がいなくなったら、また全員で悪口をいう。

 だから、日本に帰国したときもこんな日本画壇なら絵が一枚も売れなくよいと思った。」

 それで、岡本太郎はカンディンスキーやモンドリアン達と直接付き合うようななったようです。

 好かれようと思うな。嫌われたいと思うぐらいが良い。というのは、こういう体験からなんでしょうねえ。

ルーブルでセザンヌの静物画に感動したが、後日観てみると・・・・

さらに、講演会では

「ある時ルーブルでセザンヌの静物にちょうど日がさして、ハッと見入ると涙がでるほど感動した。

 しかし、後日、再び何度観ても何も感じられなかった。」

と言っていました。

 セザンヌの絵の良さは本当に分かりづらいです。

 分かるには、美術理論の研究が相当進まなと分からないですね。

 セザンヌの作品の良さと鑑賞方法については、また別に書きたいと思いますが、絵を観るのはカメラが物にフォーカスを当てるようなもので、瞬間的にピントを当てなくてはいけません。

 その時、ピントが見事に会えば視界が広がって内容が綺麗に理解出来ます。

 直観ですね。

 岡本太郎も直観に優れた人だったのでしょう。

岡本太郎は2人いる

 私は、岡本太郎は2人いると思っています。

 まずは矢沢永吉のようなブランドとしての、仮面をかぶった岡本太郎がいます。

 これはピカソのまねをして、眼をひん剥き、アトリエに上階からさっと降りて来て刀を持つように絵筆を持って描きかけの大作を描く太郎。

 そして、素顔の岡本太郎。

 素顔の岡本太郎はむしろ真面目で、気が小さく、繊細で優しく傷付きやすい人間だったと思います。

 こんな日本の画壇ならと言いつつ、その画壇の権力者たる所属していた二科会を牛耳っていた東郷青児に反抗する事もなく、彼には従順だった。

 私の両親が良く言っていたように「岡本かの子、一平」の息子という七光りがあったから有名になれたのだ。という面も縁故社会の日本では否定できないと思いますが、それも甘んじて十分に活用したと思います。

 そういう面では世事にも長けた人だったのではないでしょうか?

 彼は出版社からは一番嫌われていた作家だったそうで、昼間から酒に酔ってインタビューに答えることをわざと渋って、編集者に外食で料理や酒を無心するようなだらしいない一面もあったようです。

 ですから、お金もあまり持っていなかったようです。

今こそ生きる、「ベラボウなものを作れ、でたらめをやれ。芸術は美しく有ってはならない!」という思想

 この『TAROMAN』で語られる、岡本の

 「ベラボウなものを作れ、何だこれは!という驚くべきものを作れ!本気で真剣にでたらめをやれ。芸術は美しく有ってはならない! 嫌われるものを作れ。芸術は爆発だ!」

 という思想は今にこそ、まさに世界の人間に響く言葉ですよね。

 私は彼がこういう発想をするようになったのは、ピカソ以上にカンディンスキーの影響が一番大きいと思います。

 大学生だった私がそうだったように、カンディンスキーの『偉大なる綜合』時代の幾何学的抽象画は、『何だこれは?こんなものは自然界には存在しないぞ!』という強烈な驚きを与えてくれます。

 最近、私は、芸術とはいかに自分の殻を破って自由自在に想像・発想するか?ということのトレーニングだと考えるようになりました。

 我々は歳を重ねるごとに、日常の在り来たりなものに満足して疑問を持たなくなっていく傾向があるのではないでしょうか?

 画家として名を売り生計立てるのは大変なことです。

 針小棒大とはアーティストにこそ当てはまります。

 「おれはセザンヌを抜いた、ピカソを抜く! そう言わないと芸術にならないんだな。」と岡本は語ります。

 私もべらぼうなものを作るために、今日からEテレで『TAROMAN』を視ますよ!

札幌在住のパステル画家、横田昌彦のアートマガジン登録ページ



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