私の長年の愛読書に踊子の画家、エドガー・ドガと並んで歴史上もっとも有名なパステル画家オディロン・ルドンの著書『私自身に』があります。
この本は一言でいうと難解ですね。
ワシリー・カンディンスキーの『芸術における精神的なるもの』やアンリ・マチスの『ある画家のノート』もそうですがヨーロッパの画家の著書は内向的というか、自分だけが分かっていれば良いというような、読者が理解できるように具体的に平易に説明しようとする配慮がまったくないですね。
芸術家なので資質が詩人と共通しているのか、「文章そのものを散文詩のように美しくポエティックにしたい」と無意識に思うのでしょうかね。
とにかく自分だけの用語を創りだしてどんどん使っているので、西洋美術史や美学の学者でも用語の意味の理解に苦しんでいます。
なぜ私自身になのか?
原題はフランス語で『A SOI-MEME』、内容は『私自身に 人生、芸術、芸術家についての手記』というタイトルの1867-1915に書かれた日記と、『芸術家のうちあけ話』という自伝にあたる論文、さらにミレーやドラクロア、ルドルフ・ブレタンなどの画家について評論文が載せられています。
みすず書房から1983年に出版されました。
日記だからルドン自身が『私自身に』というタイトルにしてフランスで出版されたのかも知れません。
ただ、私はルドンの真意はちょっと別なところにあのではと思っています。
それは、『この本は何はさておき自分自身のために残した著書である』ということです。
その私は生まれ変わった、来世も画家として修業している『私』です。
インド思想的な人間の『生まれ変わり、輪廻転生』を信じるかどうか?については色んな意見があるでしょうが、私は手塚治虫はチベット人のように信じているし、日本文化に深く傾聴したと思われるルドンも信じていたと思います。
人間は前世での記憶は全てがリセットされゼロの状態で生まれて来ます。
ルドンが生まれ変わって画家としての力量を毎回の人生で伸長させていこうと考えていたならば、前世で成しとげた事をまさに『自分自身』がコンパクトに理解できる資料がこの本なのではと思うのです。
そうでないと、来生では画家として歴史に残る成功を収めていたならば作品は観られますが、その内容や制作するまでの経緯、歩んだ人生の物語を理解するのに一から始めないといけないわかです。
このサイトの別なページで私は自分を「レオナルド・ダ・ヴィンチとオディロン・ルドンの生まれ変わりであると信じしている」と書きましたが、私はこの本を前世で私が『私のために』残した資料と信じているのです。
そのぺージで東京画廊の山本豊津さんに
「村上隆のように何としても美術の歴史に名を残そう。そのためなら多額の借金を抱えて明日ぱったり死んでも本望だ。と強い意思を持って努力しなければ駄目だ!君と村上隆の差はそれだけは!(怒)」
と1時間30分説教されたち書きましたが、歴史に名を残せなければ本も作品を後世に残して『私自身』がそれを読むことも叶わないからです。
だから芸術家は歴史に名を残さなくてはいけなのだと強く思う今日この頃です。