2007年に自信作だった『レオナルド・ダヴィンチ礼讃Ⅱ』の写真を持って、また東京画廊に行きました。
山本さんは『随分作風が変わったね。私は画家ではないが絵だけは数多く観てるんだよ。まず、プロとしての要件は全て兼ね備えている。尾形光琳のような線も俵屋宗達のような線もある。これから老年期を迎えるに当たって、良い道を切り開きましたね。」と言って下さいました。
山本さんがいうプロのアーティストとしての要件とは何か?
直観的に『作品の制作能力・それを支える制作理論・マーケティングのスキル、マネジメント能力』の3つだと思いました。
「今後に向けて良い道を切り開かれましたねえ。
これからは、自分がこの日本のこの時代に生きた証として、ピカソのように『青の時代』や、『桃色の時代』『キュビズムの時代』と、制作の時期と作風ごとに部屋が違う大回顧展を美術館で開けるように頑張って下さい。」
と言われました。
しかし、『自分はオディロン・ルドンとレオナルド・ダヴィンチの生まれ変わりである』
とほぼ信じている私は、
「前世でどんなに名声と富に恵まれたとしても、輪廻転生で生まれ変わったら全てZEROからのスタートですからね。
名声なら前世で充分得てきたと思うのです。」
というと、山本さんは烈火のごとく怒って、
「なぜ君の絵が駄目なのか、今日分かった。
君ねえ、村上隆とは先日もじっくり話したけれど、彼は
「自分が日本のこの時代に生きた証を残すんだ。村上隆という男がここに生きたのだという証を、名だたる有名美術館に残すのだ!そのためなら、明日、パタッと倒れても本望だ!」
と思って生きているんだ。君と村上の差はそれだけだ!(怒)」
と1時間半、猛烈な勢いで説教されました。
自分の子供でもない人間に、ここまで本音で説教する山本豊津氏に、私は心からの感謝と畏敬の念をいだきました。
「君の絵が駄目」という真意は、直観的にすぐに仕上げの甘さだと思いました。
村上隆ほど、人並外れて入念に作品を仕上げる画家はいないからです。
確かに山本さんの言う通りです。山ほど願ってやっと食えるのが絵やスポーツの世界です。
「有名にならなくてもよい」と思っていては食えるようになる事さえおぼつかない。
無理やりにでも自分の心臓に燃料をくべて、前を走っているライバルに闘争心を燃やし世界のTOPを目指してあらん限りの努力をしなければならない。
この山本さんからの叱咤激励の言葉は、松坂大輔がイチローと対戦して三振に打ち取った時の
「今日で自信が確信に変わった」
というのと同じ確信を私に与えて下れました。
何せ、山本さんと村上隆は、アートフェアなどで会うと長時間話し合いあうような旧知の中で、「少女像」の連作を描く前の奈良美智をドイツに訪ねていった人ですから。
山本さんの叱咤激励は「彼らと私を比べて、私がどう見えるのか?」を語ってくださったものだと思います。 私は
「努力すればアートの世界で大きな成功を得られる」
という自信を得ました。
(注)山本豊津さんの驚くべきエピソード・・・(注8) 少年時代は家で岡本太郎とご飯を食べていました。