今回は、ただ私が東京画廊の山本豊津代表から「村上隆に匹敵するアーティスト」と評価された。と言っていても仕方がないと思うので、ここではなぜそのように評価されたのか?の理由を説明します。
これは私の勘なのですが、恐らく山本さんが会って話をすると、村上隆と私は同じ内容の話を山本豊津代表にするのだと思います。(笑)
私と村上隆氏の共通する信念は『芸術至上主義』つまり、『芸術ほど人生に賭けるべき価値のある素晴らしいものはない』という信念です。
以下に私と村上隆氏の共通点を上げました。
村上隆と横田昌彦の共通点
欧米のアート評価基準(暗黙のルール)を意識し、そこで評価される仕事をしたこと
「西洋の美術史に新しい変革、イノベーションをもたらしたかどうか?」の一点です。
- 村上隆・奈良美智は『日本のアニメを西洋の美術と合体させた』
- 私は『絵画と音楽の物理学的な共通方法を見つけ出し、絵画と音楽を合体し正確に翻訳できるようにした』
この共通法則を証明する論文は、機密保護のため山本豊津さんにしか開示して、説明していません。
論文は制作時に、法務局による日付印が押されており、発見の日時が証明されています。
制作をする上で、説得力のある正確で深い思想・理論を持っていること
その理論は西洋美術と日本美術への深い理解から作られたものであること。
村上隆を欧米で一躍有名にしたのが『スーパーフラット展』ですが、この展覧会のコンセプトを企画しスーパーフラットの概念を作ったのは村上隆本人です。
辻 惟雄の『奇想の系譜』が近年注目を浴びて来たことを踏まえて、「伊藤若冲という日本美術の傍系と見られてきた画家達こそ、戦後の手塚治虫から始まるアニメーションを生み出した、日本美術の本流なのではないか?」という思想は慧眼です。
この流れから伊藤若冲が日本の若者に大人気となりました。
これも東京芸大美術科の最初の博士号取得者という博識のなせるわざでしょう。
私の美術史の知識や芸術理論がどれぐらいのものであるかは、自分でいうのもなんですが、極めて驚くほど多くの分野に跨っていてしかも深いことは、私のこのサイトのコンテンツを読んでいただいた方なら、どなたでも察していただけると思います。
山本さんが今回「あなたほど美術や芸術を理解していて、毎回私も少なからず勉強になる人はいない」というのはこの事です。
線と色彩にとことんこだわるところ
村上隆さんは制作において、とことん色彩にこだわります。パソコンで原画の下絵を作る時、各部分の色彩コードを全て保存しデータベースにしています。
線も金田伊功など、恐らくはもの凄い数のアニメの線をデータベース化して参照していると思います。
私も線と色彩に対する審美眼は絶対的自身があります。
それほど意識していないのですが、山本さんは「横田君の作品には尾形光琳や俵屋宗達を継承した線がある」と評します。
色彩も日本画絵具を使用しないでそれと同等の効果、色彩の美しさを狙ってソフトパステル使用にこだわっています。
事業としてアートをやっている。起業家でありマーケッターである
村上隆は『芸術起業論』という本を書いたように、事業としてアートをやっており、天才的な事業家としてのセンスを有しています。
奈良美智さんもセルフブ・ランディングに長けた、緻密で卓越した戦略力を有するマーケッターだと思います。
芸大・美大生はこの『ビジネスとしてアートを行うこと』を毛嫌いする人が多いと思いますが、そういう面でこの2人は傑出していると思います。
私も国立小樽商科大学を卒業し、10年以上横田進学教室という小中学生対象の個別指導塾を経営し、その後20年以上札幌WEBプログラミングスクールを経営する起業家であり実業家です。
私がプログラミングスクールを経営していることからもお分かりの通り、プログラミングとWEBデザイン、ホームページとSNSを使用したマーケティングが専門でAdobeのIllustrator、Photoshopを駆使するデジタルアーティストでもあります。
★若い頃から国内で収まりたくない、欧米にも認められ世界的な巨匠になりたいと思ってきたのも同じです。
大学時代から「芸術とは何か?美術とは何か?」という問いと格闘して答えを得て来た
村上隆さんは大学時代にトイレで平山郁夫学長と隣り合わせになった時に「美術・芸術って何ですか?」と質問したら「自分で考えなさい・・・。」と言われ、「この学校はきちんとした美術教育を行っていないのではないか?」と芸大教育に不信感を持ちGEISAIを始めたそうです。
私もどうせ画家を目指すなら「日本と西洋の美術史の幹の部分を継承し発展させる仕事がしたい。」と思い、答を得ようと大学5年間で何百冊もの本と読んで七転八倒しました。
私には平山先生のような、芸大教授のような、質問そて答えてくれそうな質問相手もいない。
たった独りぼっちの孤独な闘いでした。
これは本当に寂しく、不利な立場でした。
「〇〇とは何か?」と物事の頂点にある、物事を鳥瞰するも概念の答を得ようとすることを『メタ思考』といいます。
芸術とか美術とか、文学とか政治とか、そういった概念の定義は何か?本質は何か?を問う事です。
自分の事をいうのは気が引けますが?このメタ思考をする人間は頭が良いと思います。
苫米地英人は「レオナルド・ダビンチは思考の抽象度が図抜けて高い人だ」と言っていますが、これは「メタ思考をする人だ!」と言っているのです。
ダヴィンチもキリスト教とは何か?人間とは何か?真に優秀で魅力的な女性とは誰か?人類の行く末は何か?を問うた人です。
大学時代に「芸術とは何か?美術とは何か?」と自問自答した人間を、自分自身以外では村上隆しか知りません。
村上隆と横田昌彦の異なる点、対称的な面
高校時代の学校での成績
- 村上隆は芸大でもトップの美術エリートです。描画技術の修練も充分にしてきてレベルも高い。
- 私は国立小樽商科大学卒でデッサンなどの技術修練はあまりしてきませんでした。
芸大博士号ゆえ留学もでき、同窓ということで、小山登美夫ギャラリーに売りだしてもらえた。
私は何の人脈も援助もなし。
- 村上隆は高校時代、勉強では劣等生だったので画家をめざしたそうです。
- 私は旭川市で一番の進学校に進み、福島孝徳のような天才脳外科医になりたくて国公立医学部をめざしていました。
村上隆は元々英語が苦手で留学したその日から英会話で大変な苦労をしたそうです。
私は海外に行っても、その日から日常会話は出来ます。
元々勉学は出来たので、難解な精神分析や現代思想の本も全部理解できます。
理解するにはえらく苦労はしましたが。
どうです?真逆と言って良い境遇ですよね。
まるで、王様と乞食ですよ!(笑)
そんな私がここまで来たことは、本当に凄い事だと思います。
商科大学卒で美術史に名を残すかもしれない人間なんて、まずいませんよ?
若い頃は何度も親や級友に「絵なんかでは食えない。目指すのは辞めろ。目指すなら芸大に入り直せ」と言われました。
東京芸大を目指せと言われても、高校時代は白い巨塔の財前五郎のような凄腕の外科医に、本当になりたかったので到底、芸大受験などまったく頭にない。
高校時代はやはり美術が得意だったこともあり、同級生が東京芸大を目指すものと思っていたみたいですが、一度その気になったものの直ぐに、歯学部志望、次には 医学部志望となりそんな気持ちも消えていきました。
もし東京芸大美術学部に進学出来たとしても、恐らく、経歴的には芸大だけでは満足できなかったと思います。
坂本龍一さんは、高校時代、東大か一橋大学に進んで社会学とかを学びたかったそうです。
ところが、学生運動に傾倒し、大学紛争もあって勉強がおろそかになり「東京芸大作曲家しか入れるところが無かった」ので、芸大に進学したそうです。
私も「美術だけでなく、勉強や学問も出来るのですね?」と人に思われたいし、社会科学や現代思想、哲学などの学問も本格的に取り組みたいという意欲・興味が湧いて来たと思います。
そういう面では、今は随分と入りやすい大学になってしまいましたが、国立小樽商科大学を卒業できて良かったと思います。
坂本龍一さんが知的に優れた人である、と思わない人はいないというのはわかるのですが。
坂本さんが東大か一橋に行きたかったという意味で。
美術家、美術理論家というだけではなく小樽商大卒というのも私だし、高校、専門学校、小中学生、一般社会人と驚くほど多様な年齢層の人にプログラミングとWEBデザインを教えて来たプログラミング教育で日本一の教育者であり、30年近く事業を経営して来た実業家というのも私です。
実に、大谷翔平以前に存在した、元祖二刀流日本人は私ではないでしょうかね?(笑)