私は2歳か3歳のもの心がついた頃には毎日絵を描いていました。
生まれながらに大人顔負けに絵が上手い、絵の天才少年でした。
生まれ育ったのは北海道の旭川、旭山動物園のふもとの東旭川という町です。
写真は私が3歳の時に描いた絵で、住んでいた東旭川を描いたものです。
クレパスで5分ぐらいで描いたものです。
当時の私は小学校の教員だった父が用意してくれたB4版の画用紙にクレパスを使って大人顔負けの写実力で1枚数分から十数分というもの凄いスピードで毎日4枚から5枚は描いていました。
実は私は現在、自分がオディロン・ルドンの生まれ変わりかもしれないと信じていますが、今思えば前世でも画家だったので、生まれてすぐに死後の世界での計画通りに、絵を描き始めたのかもしれないと思っています。
母や叔父に絵の上手さを褒められると「なぜか分からないけど、生まれつき絵が上手いんだよね!」と、ギタリストのチャーみたいなことを言っていました。
保育園の時もそうでしたが小学校の図工の時間では、あっという間に課題の絵や版画を描いてしまうので、完成するとすぐ担任が模範解答として取り上げて黒板に貼るのです。
横田君の絵です。上手いでしょう!このように描きなさい!」
後の時間はする事がなく、いつも教室徘徊して他の子の絵を観たりしていました。
父は同じ小学校の国語の教師だったのですが、小学校を卒業するまで、図工の教科担任の先生全員に
「横田先生、これだけの才能は惜しい、なかなかいませんよ。是非、画家を目指させて下さい。」と進言されていました。
これは中学・高校と進学しても同じで、高校卒業までいつも美術教師から画家をめざす事を強く勧められました。
小学校3年生の時には写真の絵で旭川市小学校絵画展の優秀賞、小学6年生の時には写真の受賞盾のように図工部会賞を受賞してデパートで表彰されました。
東京芸大油画科の学生たちを描いた『ブルーピリオド』という
コミックに天才デッサン少年、高橋世田介君(右画像)という人物が登場しますが、私はあんな感じの少年だったのです。