個別指導学習塾『横田進学教室』を創業して5年ほど経った頃、東京画廊の山本豊津代表と知り合います。
きっかけは専門学校を辞職して非常勤講師をしていた頃に東京画廊に直接電話して絵で生計をたてる方法について相談した事です。
当時の私は何とか、2年位で絵で生計をたてることができないかと日々模索して、色んな美術関係者に電話して情報を集めていました。
その中で独立美術協会やモダンアート協会などの有力公募団体に応募しようととして電話で相談したところ、どの会員の人にも「兎に角100号の大きな絵を数枚送ってきてほしい。」と言われたました。
絵の価値は大きさではないのにその評価基準はおかしいと感じました。
さらに公募団体の入選作には何の価値も魅力も見いだせませんでした。
そして、なぜか真面目に応募しても入選する気配が感じられなませんでした。
おかしいと思った私は公募団体会員の作家を扱う画廊としては総本山である『日動画廊』に、
「作品写真を観てもらえないでしょうか?それと、そちらで扱っている東京芸大教授の島田章三や大沼映夫の作品のどこが良いのでしょうか?
私の人間なので完璧ではないから、どこか一つだけでも良いところがあればそれは認めますから。」
というと
「新人作家は当画廊で主催している昭和会賞の入賞者しか扱いません。
昭和会賞は芸大教授などの先生が選ぶ作家なので間違いないのではと考えています。
その先生方の力量を疑うのですか?」
と相手の女性社員はヒステリックになってしまい、電話を切られてしまいした。
どうも保守系画壇は駄目だなあ、と感じた私は「ならば現代美術のNo1画廊に電話をすれば埒が開くだろうと考え東京画廊に電話したのです。
すぐに野太い迫力のある声の男性社員の方が出てくれました。
「島田章三にしても大沼映夫にしても、まったく自由に描いている訳ではないでしょうから。
時代や今の画壇の状況に合わせて描いていると思いますよ。
ただし、あなたが公募団体の絵に何の価値があるのか?と思うなら、この先そのあなたの鑑識眼を大切に育てていきなさい」
「東京に行ったら、会って私の作品の写真を観てもらえますか?」というと
「必ず観てあげます。お待ちしてます。」
と快く承諾してくれました。 ところが、笑い話ですが、私はその社員の名前を聞くのを忘れてしまったのです。
数年後、上京して飛び込みで東京画廊に行っって
「以前お電話さしあげたら、社員の方が作品の写真を観て下さると確約して下さったのですが。」
というと、画廊を案内して下さった和泉さんという社員の方に
「電話に出たのは誰でしょうか?あなたにとってそれが一番大事に事ではないですか(笑)?」
と笑われてしまいました。
それでも、すぐに山本豊津代表に話を通して下さって
「職員の名前が分からないのであれば、私でよければ明日会いましょうか?」
と言ってくださり、翌日お会いました。 作品の写真も観て下さり、2時間ほど丁寧に講評してくださいました。
(左上は最初の出会いの時に持って行ってお見せした作品写真。右は東京画廊経営陣の写真です。写真をクリックすると山本さんと高島ちさ子さんの対談記事をご覧いただけます)
驚いたのは、山本豊津という人物が打てば響くような、ツーと言えば、カーと返ってくるような驚くべき博識の人だった事です。
古今東西の美術に精通し驚くほどの幅広い教養を持った、自分と同じような人物がこの世にもう一人存在することに私は驚嘆したのです。
「あなたに一番近い画風の賞は安井賞なのですが、推薦しようにももう無くなってしまいましたからねえ。
あなたの作品とうちは画風が会わないなあ。
あなたの画風に一番合っているのは西村画廊だから、西村さんから来たこの小林孝亘展のDMを持って、私の紹介だと訪ねていくとよいでしょう。」
と言われ、その日のうちに西村さんに会いに行きまし。
しかし、社員の方が作品の写真を受け取ってくれただけで、結局何度訪ねても会ってくれませんでした。
西村画廊ではその日小林孝亘展をやっていて、初めて彼の作品を観てモダンで素晴らしいと思いました。(写真画像)
その後、数年に一度、上京して銀座を中心に画廊回りをして作品を売り込んでいきましたが、その都度、山本さんは会ってくださって作品を講評して下さり、画壇の状況や色んなアドバイスを毎回2時間ぐらい、長時間にわたって親身に丁寧にして下さいました。