ドニ セザンヌ礼賛 画像

ドニ セザンヌ礼賛 

今日は。

札幌在住のパステル画家、デジタルアートアーティストの横田昌彦です。

今日はパステルで描く有名な画家を紹介したいと思います。

第1回目は『魂の神秘の探究者』オディロン・ルドンです。

まず、パステルで描く有名画家の数はもの凄く少ないです。

なぜ、皆パステルで描かないのか?有名な画家でも何人かは習作や商品でパステルを使用する画家もいますがそれでも小数ですねえ。

ルドン アルチュール・フォンテーヌ夫人

ルドン アルチュール・フォンテーヌ夫人

むしろ、こんな素晴らしい画材でなぜ描かないのか?本当に私の方が聞き返したいぐらいです。

西欧の美術が人物や風景をそっくりに描きたいという熱望から油絵具を発明し、ほとんどの画家が使用してきた結果、絵画は油彩で描くもの、

でなければ速乾性で写実画も描けて耐久性に優れるアクリル画をその代用として使用することが当たり前となったのではないでしょうか?

また、パステル画はその絵肌の弱さ、繊細さから大作には不向きなので、選択肢に挙がらないのかもしれません。

ただし経験上画家がどの画材で描くのかは、画材との相性と気質へのマッチングによるので、パステル画家にはパステルを愛用する先天的な気質があると思います。

さて、その先天的な素質とは何かは順次解説していきますね。

天賦としか考えられない天上的な色彩センスを持った、無意識を探求したディレッタント

パステルで描く巨匠(great master)と言えば、実質2人しかいません。オディロン・ルドンとエドガー・ドガです。

ともにマネ・モネ・ルノアールなどが活躍した印象派時代の画家です。

オディロン・ルドンは油絵も描くのですが、40歳で結婚し49歳で次男を授かるまで(長男ジャンは幼少で夭折)はフロベール『聖アントワーヌの誘惑』をリトグラフにした作品など、木炭やリトグラフで空想の怪物や動植物などを描いていました。

彼女は懐から真っ黒な海綿をとり出して、それを接吻で覆う ルドンのモノクローム作品を詩人ステファヌ・マラルメ「緋のような堂々とした黒」と称しました。
(写真は リトグラフ、聖アントワーヌの誘惑より 『彼女は懐から真っ黒な海綿をとり出して、それを接吻で覆う』)

これは原画を観ると実感するのですが、ルドンの黒は暗いのではなく色彩としての黒であり、美しく光を放っています

黒を色彩として使える巨匠はマネ、ルノアール、日本なら雪舟や横山大観など数えるほどしかいません。

あのワシリー・カンディンスキーでさえ長く黒を使うのに悩んだのですから。

ところがルドンは50歳を境に主にソフトパステル天上的な色彩で深い文学的な思想を描くようになっていきました

恐らく母親の愛情に恵まれずに育った彼の内面で抑えられていた性的な欲望が解き放たれ昇華していったのだと思います。

ルドンのパステルや油彩作品の色彩について近代美術研究者の本江邦夫は

 「おおよそ、巨匠と言われる画家はまさに天賦としかい言いようのない優れた特質を持っている。」

 「これほどまでに想像を絶して天上的な花々を生み出しうるルドンの創造力には何か常軌を逸したもの、まさに彼の天才があるのではないかとの思いをいだいたとしても、それを責めるわけにはいかないだろう。」(『ODIRON REDON 本江邦夫著 みすず書房 p 313)

なぜルドンが油彩をメインにしないで、パステルを多用したのかは、調べてみましたがはっきりとしたことは不明です。

元々木炭を長く使用していたのでソフトパステルを使用したのは自然な流れだったのかもしれません。

しかし、私はルドンが日本の美術に傾倒したからではないか考えています。

竹内栖鳳が率いる京都日本画壇の画家たちと大原美術館が最初に見出したルドン

ルドンの研究者は、

「彼が日本に深く傾倒した資料は何も残っていない。」

さむらいの描かれた花瓶

さむらいの描かれた花瓶

「ルドンの日本文化との接点はせいぜい花瓶の能衣装を着た人物を武士と勘違いし【さむらいの描かれた花瓶】(写真)と命名しているぐらいである。」(『オディロン・ルドン 粟津則雄 p194)

といっています。

それでも、ルドンが日本美術を深く参照しているのは間違いないと思うのです。

写真の『レオナルド・ダヴィンチ 礼讃』を観れば、これはどうみても岩絵の具で描いた屏風に見立てて制作したとしか思えないのです。

私が絵画に最初に感動するという経験をもたらしてくれた梅原龍三郎は『天衣無縫』(求龍堂 p380)でこう話しています。

今泉「ルドンが書いているもののなかには、インドの詩とか哲学とか、そういう東洋的な要素の影響もありますね。」

梅原「東洋的な分子がかなりあるのではないかと思う」

今泉「(ルドンの作品は)やはり日本人の神経に、すぐ響いていくるものがあるのですかな。」

梅原「そう、有名になろうとか、世間を驚かせようといった野心がなくていいいね。非常に純粋なものだと思う。」

レオナルド・ダヴィンチ礼讃 実は、まだルドンがフランスでもそう騒がれていなくて評価の確定していない時期にフランスに行った日本画家達が、かなりの枚数を持ち帰っており、その多くが岐阜県立美術館など日本の美術館に収まっているのです。

購入したのは竹内栖鳳をボスとした京都日本画壇の画家たちで、『若き仏陀』を土田麦僊、『妻の肖像』を菊池契月が購入。小野竹喬も購入しています。

さらに、大原美術館を作った大原孫三郎と収納作品の購入を一任されていた児島虎次郎が彼らに先んじて購入しています。

 ルドンの真価をほぼ最初に見抜くという、日本人たちの慧眼は驚くべきものであるといっていいでしょう。

このことについて粟津則雄は

「栖鳳を中心とする京都写生派の画家たちは、形骸化した日本画の伝統的な装飾的特質を洋画的手法と融合させ蘇らせようとした」

と語っています。(『オディロン・ルドン 粟津則雄 p268)

単なる装飾的な線と形ではなく、精神的な表現力をもった新た線と形を模索したのだと。

深い教養と音楽的な素質に恵まれた、いわば我々のマラルメ

ルドンは博覧強記と言われ、ナビ派の青年画家モーリス・ドニはこう語っています。

「深い教養と音楽的な素質に恵まれ、親しみやすく親切な性格の彼は、象徴派の世代の理想像、いわば我々のマラルメであった」(『近代絵画史 下』高階秀爾著 中公新書 p386)

ナビ派のが画家達はルドンをポール・セザンヌとともに師匠として慕っていました。(ヘッダー写真 モーリス・ドニ 『セザンヌ礼讃』静物画を解説しているのがルドンです。)

アポロンの二輪馬車

ルドン  アポロンの二輪馬車

ルドンは『暗示的芸術』という言葉を生み出し、生涯絵画の音楽状態に憧れ、これを探求した先駆者でした。

そういう点では「今日の色彩は音楽的でなくてはならない」と言ったウジェーヌ・ドラクロアの直系の弟子といっていいかもしれません。

事実、ルドンはドラクロアも描いた『アポロンの二輪馬車』を描いています。

ルドンの研鑽を同じく絵画の音楽状態をめざしたカンディンスキーやクレーは受け継がず、結局受け継いで完成させたのはこの私、横田昌彦です。

ルドンは「モネやルノアールなどの印象派は天井が低い」と批判しましたが、彼らは物や人物、風景をカメラやビデオのように視て描くということに縛られていたからです。

これは、未だに多くの絵を描くアマチェアの人達が抜け出れないでいる固定観念です。

この観念から抜け出せないうちは飛躍はできません。

飛躍をするためには、ルドンのように眼を閉じて、小説家や演劇作家のように自由に想像し空想し、この世にないキャラクターを創造し、深い心理や思想、暗喩や詩情を表現しようすべきです。

つまり創造の翼を広げて高く舞い上がるべきで、そうしない印象派を『天井が低い』と称したのです。

ルドンもドガも紙に薄くパステルで描画しました

実は、ルドンの作品で生前コレクターに最も人気だったのは花瓶に挿した花などの作品です。

これで、ずいぶん経済的に助かったようです。

この花瓶の花は妻のカミーユが庭で栽培してくれたのを刈って描いたもので、ルドン自身も絵の制作で疲れると積極的に庭いじりしたそうです。

ルドンの作品は、美術館で実際にみると思っていた以上に紙に薄く描画しています。

これはドガも同じですが、私は逆にかなり厚く描線を重ねていきます。

パステルは紙に弱い定着力で定着しているため、油彩やアクリルのように積極的に貸し出すわけにもいきません。

東京の三菱一号館美術館でも、運が良くないとルドンのパステル作品は多くは観られません

 かつて、岡本太郎が傑作といわれた『傷ましき腕』を若い画家志望の男にナイフでずたずたにされた時

「諸業無常、全てのものは滅びゆく。むしろ、その若者には未来があるのだからそちらの方が心配だよね」

と言いました。

パステル画ははかない。

だからこそ、物事の盛衰をよく表現しているのではないでしょうか?

作品を観られるのは、その土地の、その美術館だけ。

というのは、観たければ輸送すれば良い。購入すれば良い。旅客機に乗って身に行けばよい。

こういう生活スタイルというよりも、本来の社会の在り方に合っていると思います。

特にコロナで飛行機でも移動できない現在の状況ならなおさらです。

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