東京画廊の画風と私の作品の画風が違うため契約にならなかった理由について
商業画廊であれば、ほぼ必ず、取り扱う作品の画風があります。
人間でいえば、余人に代えがたいその人の長所、個性ですね。
画廊に歴史があるほど、今まで培ってきた画風は尊重しなければなりません。
なぜなら、『欧米、特に世界最大のアートマーケットであるアメリカでは、いかに他の画廊と違うかという、その画廊の唯一無二のユニークさが尊重されるから』だと山本さんも話しておられました。
東京画廊は今年のマイアミアートフェアでも「本当に地味な色彩の作品ばかりだね、出店画廊中もっとも地味ではないですか?」と言われたそうです。
『もの派』は多摩美術大学の教授で、東京画廊が最初に扱った日本の現代美術家、斎藤義重のゼミ生たち、関根伸夫、李禹煥(リ・ウーファン)、吉田克朗、小清水漸、榎倉康二、菅木志 雄が展開した美術運動で、端的にいえば『もの自体』に直に対峙し鑑賞するように迫るものです。
実は東京画廊を創った先代、山本孝さんは、元々数寄屋橋画廊で古美術を販売していた人です。そう、中島誠之助さんのような目利きだったのですね。
それゆえ、平面以上に陶器や彫刻のような三次元の『物そのもの』を観てそのものの『品格』を感じる事を大切にした方だったようです。
これらの経歴により、斎藤義重さんの絵画と言うよりレリーフ、彫刻のような作品を扱い始め、鳥海青児のような重厚な泥のような油絵具に砂を混ぜたマチエールの画家を取り扱ったようです。(山本豊津談)
東京画廊の特徴を一言で表すと『静=絵画』。
『静、物、不動、品格、絵画、マチエール』がコンセプトでしょう。
対する私のコンセプトは『動=音楽』であり、物ではなく詩や小説で描かれるような文学的・心理学的主題を描く特徴があります。
大正・昭和で『梅原・安井時代』と言われ、天才の梅原、秀才の安井と言われた二人の国民画家のうち、安井曽太郎さんは創世記の東京画廊に作品販売を委託して篤く援助された縁があるのですが、私は梅原派で梅原龍三郎はワシリー・カンディンスキーとともに、私が最も尊敬する画家です。
(写真は安井曽太郎作『中国風景』)
こういったところも真逆で、山本豊津さんは以前、私が「絵画の音楽状態を達成したい。ビートルスやローリング・ストーンズのロックミュージックのような絵画を実現したい」といったら
「だったら私は音楽を聴くな。音楽はすでにあってその方が楽しめるでしょう。/strong>」
と返され、その時は返す言葉が無く、「絵画の音楽状態を夢見ない人間などいるのか?これは提携は無理かなあ」と思いました。
このやり取りは実にふたりの志向性の違いを表していると思います。
まさに『水と油』なのですが、山本さん曰く
「自分と同じ意見の人間とばかり話をしていると駄目になります。同じ意見の人間とは会う意味が無いでしょう」
今回の面談でも「マイアミで「本当に地味な色彩の作品だね」と言われ、それが評価される東京画廊で非常に鮮やかで具象性に富んだ作品をマイアミアートフェアに持ち込んだら、一遍で翌年より声が掛からなくなる」と言われていましたが、それに私も納得した次第です。
しかし、「取り扱い画廊が無いのはもったいないよね。横田君が言うように、うちと同格の画廊で取り扱ってもらいえないものだろうか?
へたな画廊で扱ってもらってはいけなかもしれない。(私のブランド価値に傷が付くということでしょう)」
と言われ、後日電話が掛かって来て、東京の具象系の日本を代表するアーティストを扱っている有名現代美術画廊への売り込みを電話で強く勧められた次第です。