アートとは何だろう?村上隆は平山郁夫学長に質問しました。その答えは?

私は医学部受験に挫折して小樽商科大学に入学し、

外科医以外のどんな職業を目標にしようかと

考えに考えたあげく、セザンヌやカンディンスキー

のような巨匠(マスター)と呼ばれるような

画家になろうと決意したましたが、

その時、絵画の歴史とか芸術が、大きな一本の樹木

のように思えて、その「太い幹の部分を継承し、

先に進める仕事がしたい」と思いました。

 そこで、『絵画とは何か?美術とは何か?』

について、本を読み思索を重ねていったのですが、

本に書いている事にはどうにも納得できず、

答は見つからないままでした。

 私とほぼ同い年で、同じ時期に同じ疑問を

抱いていた青年がいます。

 東京芸大日本画科の学生だった村上隆です。

村上さんはトイレで偶然に国民画家と言われた

平山郁夫学長と隣り合わせになったそうです。

 そこで平山さんに

「あのっ、美術って何ですか?絵画って何ですか?」

 と質問したそうです。そうしたら

 「自分で考えなさい・・・・。」

 と一蹴されたそうです。

 それで村上さん

「えっ!!! わ、わからないのか???

 わからないのならそんな人間がここで教えていていいのか?

それならば東京芸大は実は画家になるための必要な知識・技術を

 学生にきちんと教育していないのではないか?」

  と思うようになり、GEISAIで有望な新人を

スカウトして育成しようと考えたのだそうです。

 一方、分からない男と思われたらしい平山郁夫氏は

『この道一筋」という著書で

「画家として大成するには、芸術とは何か?

絵画とは何か?についての自分独自の理論・思想を

作り上げなければならない。

これは本当に容易な事ではなく、一生作れない人間も多い。」

と言っています。

ですから、平山さんは自分独自の芸術思想を

作り上げてはいたのでしょう。

何故、村上隆を突き放したのか?

それは、『安易に教えるとかえって

個性を発揮する妨げになる』

と考えたのではないでしょうか?

村上さんも結局、スーパーフラットという

自分独自の芸術思想を生み出し、アニメと

現代美術の結合というイノベーション

を成し遂げ、GEISAIを思いつき実行しました。

私も『音楽と絵画の物理法則による結合』という

イノベーションをなしとげ、世界でも恐らくは

私一人という大画面の天上的色彩のパステル画

を描く画家になった。

ただし、村上隆も会田誠もそうでしょうが、

独自思想を確立させる苦しみたるや、言葉で

表せない労力と苦悩がありました。

カンディンスキーが

「自分がしてきた思索と試行錯誤を振り返ると

うんざりしてしまうが、それでもかえって

自分独自の抽象画理論を確立できたのは良かった。」

といっているのも同じ意味ですね。

ミズマアートギャラリ―の三瀦さんは

「会田誠は東京画廊の『もの派』が

(彼が学生時代に、日本の現代美術で一つの山頂

を成していたことで)妨げになり、自分の画風を

作り上げるのにえらく苦しんだと聞いている。」

といっていましたが、これは本当によく分かりますねえ。

日本の現代美術家にとっては、198年代に

東京画廊で個展を開催してもらうのがステータスでしたから。

東京画廊の『もの派』とはミニマリズムで、

言ってみれば非常に禁欲的な表現ですからねえ。

ですから、誰かがきちんとした正統派の

芸術理論・思想を教えてあげるということが、

村上隆が感じたように必要だと思うのです。

「それさえ教えてくれていれば、

こんな遠回りはせずに済んだのに。」と思うのです。

「私はこう考えているが、皆さんはこれを

批判・吟味し、自分独自のものを発展させてください。」

というのが、日本を代表する芸術大学の教育のあり方でしょう。

次回に続きます。

次回は『欧米の教育機関ではアートの本質を

どのように教えているか?』 についてお話します。