ギフテッド、天才画家少年は、大学に入ってみたら高校生の時のように思うように描けない。

国公立大学医学部への受験勉強を1年半終えて小樽商科大学に入学してみると、高校生の時のように才能にまさせて思うがままに、自由にどんどん描くという事ができなくなっていたのです。

高校時代には美術部に入りましたが、途中で絵画への興味を失った理由の一つに、良い作品ができたと誇らしく思うと、すべて梅原龍三郎が先にやっていたことだとがっかりしたからです。

描けば梅原龍三郎。

それぐらい素質に任せて描いていました。

しかし、受験勉強をへて大学に入学後は、何かどうも『知性』という、『文字で物事を考えるようになった自分』という、大きな壁にぶち当たったように感じられました。

大学の教育原理の教授はナチス・ヒトラーの大衆扇動に関して研究している日本で2人しかいない研究者の人でしたが、先生は授業で

「高校卒と大学卒では脳のニューロンのネットワークがまったく違うことが最新の医学での研究で分かって来ました。」

 といったのです。

 何が違うのか?

大学では言葉という記号を使用し操作して論理的・抽象的に思考するトレーニングが行われます。

 だから、何をするにも、絵を描くにも無邪気に自分の持っている感性で描くことが出来なくなったのです。

 何をするのでも、

『これは何か?これは価値があるのか?これは意義あることなのか?』
『それは自分だけでなく社会に対しても、歴史的にみても価値があるのか?』

という疑問をもたずに無邪気に制作に向かえなくなっていたのです。

 この壁は若きカンディンスキーが『絵画とは何か?』という疑問に、長く『太陽が照っているというのに、漆黒の夜にある』と苦しんだ壁と全くもってそっくりで、それをぶち破るのに嫌になるぐらいの年月を苦労がいりました。

 かつて怪物と言われた投手江川卓が「ピッチャーは2年ブランクがあると、その後もう取り返せなくなる。」と語りましたが、高校2年生で筆を置いて大学1年で再開した自分も、

『画家も野球のピッチャーと同じだ』

という事を嫌というほど実感させられたのです。

 つまり、制作の経験の連続が断ち切られたことで、制作できなくなってしまったのです。

 これは今でもそうで、制作の中断期間が長引くと、集中して制作できようになるまでかなりの苦労をともないます。

 私が芸大・美大を目指して高校美術部でも指導を受け、予備校でも受験対策授業を受けていれば、『制作の経験を』連続して実感し、さらに『何でも好きな物を描きなさい』といった東京芸大で入試に出される課題にも対応できるように、絵の主題の思いつき方、発想の仕方を教われたでしょう。

しかし、とにかく外科医になりたくで、芸大・美大への進学も高校2年生ぐらいで一度考えてみたことがあるにせよ、その後医者志望となった自分には、まして商科大学にはこういったことを教えてくれる人間は身近に誰もいなかったのです。

 芸大・美大生とのこのハンディは言葉に表せないぐらいに大きく、思うように制作出来ない時代。美術や精神医学・哲学・現代思想・文学などの本ばかり読む日々は、その後35歳で小中学生対象の個別指導学習塾を開設して制作時間が自由に得られるようになるまで何年も続いていきました。

 芸大・美大生とのハンディは発想法だけでなく、頭に思い浮かべたもの、構想したものを満足ゆく技量で描くというデッサン力・制作技術でも、とてつもなくありました。

 デッサン力というものは、ピカソが言うように『どこかで、出来るだけ若い時期に専門家の指導のもとに徹底して数年間集中して身に付けなければどんな天才でも身につかない』ものです。

 その修練がなかったので私の生まれながらの天才的デッサン能力など、20過ぎればただの人になっていたのです、

 ミズマアートギャラリーの三瀦さんが

『会田誠と村上隆がいうには美術教育が受験予備校だけで充分なのだそうだ』と著書で言っていますが、デッサン力こそ画家としての実力を伸ばしていく上で決定的なものです。

 そりゃそうでしょう。ピアノのような楽器の演奏でも、プログラミングでも正統派の基礎を初歩から階段を登るように修練しないと、思うように腕を伸ばす事はできません。

 だから、『短期間で、通信教育で、簡単にデッサン力が身に付きますよ』といった講座が今もの凄い人気ですが、その講座を受けて画家として生計を立てていけるのでは?と期待する人間は驚くほど多いですが、世の中安近短が通用する分野などないのです。

 師匠そっくりの絵が描ける様になったとしても、自分の表現スタイルの絵が描けなければデッサン力は無いと言っていいのです。

 次回は、『どうやったら短期間でデッサン力が身に付くのか!』についてお話します。