前回は「本当の苦労は人に話せるような程度ではない。」ということと仏教の悟りについてお話しました。
今日はごく一般の人の苦労と、苦労の人生における意味についてお話しますね。
以前、東京のアンデパンダン展に出品していたことがあり、札幌周辺の出品者が集まり札幌でグループ展を開いたことがあります。
どの出品者も高齢で、どこといって強い個性のない平凡な人に見えましたが、会場の当番で一人一人に今までの人生についてじっくり聞いてみたところ、全員が自分の苦労が苦労でないような苦労をされていて驚きました。
30年前に「3か月後に絶対死ぬ」と医師に宣告されたが「私はそうならない。見ていて下さい。絶対生き延びて見せるから」と宣言して、その時から車椅子で笑って生きて来た。とか、「日米戦争で中国戦線に行ったらアメリカのグラマン戦闘機が打って来て、伏せたら、前に伏せていた日本兵の腕が機関銃で銃撃され見る見る内に骨だけになった。
その後突然終戦になり、横浜の実家に帰ろうとして東京駅に降り立ったら全てが黒く焼け漕がれていた。横浜まで汽車に乗ったら延々それが続いていた」とか。
全員ですよ。全員がそんな驚くべき苦労をしていました。
私が尊敬して止まない精神分析医のカール・グスタフ・ユングは
「もちろん人間は安全確実な道を行くことができる。しかし、そういった人はその時その時の人生の節目で、取るべき挑戦・選択を何もして来なったことを表している。」と言っています。
ユングはこう結論づけています。
「私の人生を振り返ってみると、あの時もっとこうしていれば良かったかな?もっと別な選択があったのかなと思う事もあるが、じっくり考えてみると、私はその時その時、それ以外にはあり得ないベストな選択をしてきたのだ。それだからこそ私の人生には今実りがもたらされているのだ!」
これは、還暦を過ぎた私も本当に実感することです。
高校の教員を続けていれば、今頃は安定した年金ももらえ、経済的に苦労する事もなかった。
しかし、辞めたからこそ、ヤルキー学園の中村支部長と出会い、学習塾経営者として独立し、それゆえに絵を描き続ける時間も十分確保でき、作品の写真を持って東京画廊の山本豊津さんや佐谷画廊の佐谷和彦さんら何人もの日本のアート界のキーパーソンと知り合い多くのことを語りあえた訳です。
「苦しい事も多かったけどまるで孫悟空の冒険活劇のようで、一言で言って面白かった!」というのが還暦を迎えた誕生日に人生を振り返って思ったことです。
私がひとつとラッキーだったのは、人生の節目々々でこういったキーパーソンに必ず出会い、そして必ず好かれて可愛いがってもらったことです。
これは、私が今の日本に酷くまん延している誤魔化しや不正を一切してこなかったこと、また自分の本音を思った通りに相手にぶつけたからだと思うのです。
東京画廊の山本豊津さんが「あなたが国画会なり独立美術なりの会友・会員だったら私はあなたと会う事を拒否していました。」と私に言いましたが、なぜ拒否するかの理由はご本人の迷惑になるので言えません。
知りたい方はお電話かメールでお問い合わせいただければと思います。
これは特に若い人は覚えておいた方が良いです。
どんな分野でも一切汚い手を使わないで地位を確立した最重要人物、一流の人間がいます。
私の経験では数としては、そういう人の方が多い。
通産省や財務省のキャリア官僚や与党の政治家、電通などの大手広告代理店などこういった忖度、腰巾着(ぎんちゃく)人間が目立ちますが組織はそうかも知れませんが、少なくとも私が知るアートの世界では一流は清潔でした。
そして、そういう人物は不正や不正する人間を嫌うということです。
ですから、普段から目上や権力者に取り入ったり忖度していると、節目のチャンスを逃してしまうことになります。
さて、人生を振り返ってと言いましたが、カンディンスキーも梅原龍三郎も代表作は65歳から85歳までに描いています。
ですので、いずれこのメルマガで私のこれからの計画や今やっていることも語りたいと思います。