欧米の教育機関ではアートの本質をどのように教えているか?

前回は、東京芸大では芸術や絵画とは何か?

について具体的には教えていないようだ。

というお話をしましたね。

実はこういったことは、欧米でもあるようです。

アメリカで最も名声のあるカルアーツこと

カリフォルニア芸術大学やその他の学校で、

サラ・ソーントンという、社会学学者兼フリーライターの方が

学生や教官に「アーティストとは何か?」と尋ねて回ったそうです。

(現代美術の舞台裏 サラ・ソーントン p77 ランダムハウス講談社)

サラさんは「人々の反応はとても攻撃的で、これは自分が何か

タブーを犯しているに違いないと思った」といっています。

ある学生は「フェアじゃないよ!」と声を荒げひどくショックを

受けたようになったそうです。

何がフェアじゃないのでしょうねえ。(笑)

ある大学の美術科で要職を占めるアーティストはサラさんを

「馬鹿もの!(怒)」

と罵ったそうです!(w)

ある一流のキュレーター(展覧会の実行プロデューサー)は

「あなたの質問は循環論法にしかなりません。

 私にとって、アーティストとはアートを創る人で、

アーティストに会って初めてアーティストの

何たるかがわかるのです。」

といった具合だったそうで、カルア―ツ教官のレスリー・ディックは

「気を悪くした人間が一人でもいたのが信じられない・・・。」とした上で。

「アートとは遊びなのよ。思いっきり真面目な意味でね。

 自分の内面にある何かを捕まえて、それから自分を

 解放させるために、それを外の世界に吐き出すのよ。」

と言ったそうです。

「ジャズとは何か?」と尋ねられたルイ・アームストロング

は「問う事はできる。だが決して知る事はできない」

と答えたそうです。(笑)

この答は「ジャズも音楽も詩ではないですか?」

と逆に問いかけてあげることが親切かもしれませんね。

まあ、矢沢永吉に「芸術とは何ですか?」と聞いても、

あまり理論的な答は返ってこないように思いますが。


矢沢さんはこんな風に答えていますねえ。

私は『芸術とは、ある意図を持って行う何かの表現である』と考えます。

千住博は、芸術とはコミュニケーションであると言いますが、

それだと日常会話もアートになってしまいますよね。

私のアートとは何か?についての考えはこちら

ご覧ください。

続きは次号で。次回は

『どうしたら作品の主題や発想を次々と生み出せるのか?』

についてお話します。