My History (私の履歴書) リーマンショックで制作を一時中断【My History No9】 2021年3月1日 東京画廊の山本さんには、その時にパステル画を精力的に制作し、描き貯めて、また写真を観せに東京に行く約束したのですが、その後リーマンショックが起こります。 政府が大々的に社会人への職業訓練を行ったため、経営していたプログラミングスクールもそちらに生徒さんが流れたこともあって職業訓練を受託せざるえなくなり、そちらにつきっき... 白いハヤブサ
My History (私の履歴書) 村上隆と君の差は、明日倒れても歴史に名前と作品を残そうとするぎらついた欲望があるかどうかだけだ!【My History No8】 2021年3月1日 2007年に自信作だった『レオナルド・ダヴィンチ礼讃Ⅱ』の写真を持って、また東京画廊に行きました。 山本さんは『随分作風が変わったね。私は画家ではないが絵だけは数多く観てるんだよ。まず、プロとしての要件は全て兼ね備えている。尾形光琳のような線も俵屋宗達のような線もある。これから老年期を迎えるに当たって、良い道を切り開... 白いハヤブサ
My History (私の履歴書) 母の死で自分のスタイルが確立!あなたの画風を確立しなさい。プロの画家には名刺代わりの一目で作者が分かる表現スタイルが必要。【My History No7】 2021年2月28日 東京画廊の山本豊津さんとは数年に一度お会いするようになりましたが、3回目ぐらいにお会いした時に 「あなたも良い歳なのだから、そろそろ自分の画風を確立してデビューしないと」 と苦言を呈されました。 「ピカソは『カメレオン』と呼ばれたように描画スタイルを目まぐるしく変えたではないですか? 表現スタイルは一つでなくて... 白いハヤブサ
My History (私の履歴書) 有力画商と知り合い、取扱い作家になる事の天文学的な難かしさ。【My History No6】 2021年2月28日 日本だけでなく海外でも有力画商と知古になるという事は非常に難かしいです。 東京芸大の美術学部は毎年日本一の倍率で、入学するのが日本一難かしい大学と言われて来ました。 画壇の勢力図が保守系から現代美術に一気に変わっていった2000年前後のあの時代、高校生で画家をめざし、芸大や多摩美、武蔵美に合格した学生のほとん... 白いハヤブサ