愛知トリエンナーレの従軍慰安婦少女像の展示問題、大阪・吉村知事や松井一郎市長などの発言。菅氏や河村市長とかがこういう発言をするのは、教養が無いからです。
アートというのはまず「自分が皆に訴えたい何か」の表現ですが、もう一つ、デュシャンの「泉」や「大ガラス」のように争論を巻き起こすための、謎かけ装置などのです。
だらか、アート作品は、あまりにもびっちり描いたり、作りこんだりして、鑑賞者の想像が入り込む余白の部分がないのはまずいと思ってます。ただ、自分の意見を話しまくって同意を得ようとする人ってうっとうしいでしょう?
ゆえに出来るだけ少なく語る。
しかし、実際作ってみると、余白と空間のある作品を作る方が難しい。
今回の作品も、ソウル市にあったものを美術館で展示した時からアート作品に転換したのです。
本来あるべきところに無い事で「何だこれは?美術館にふさわしいか?」とたちまち論争になる。
賛否両論が巻き起こり、人々の注目を集める事で、普段から性犯罪などに無関心の人まで性犯罪など様々な事を考えさせられるでしょう。
なのに「展示するな」「公金を貰っているの」とかはこの芸術の2本の柱を理解していない証拠です。
彼らは大学でも、その後の人生でも美術やアート、芸術をきちんと勉強した事が無いんでしょうね。
東大や九大の法学部で法律を勉強した。それは技術であって教養ではない。
大学で法律や経済のみを学ぶなんて明治の大学教育ですよ。
写真は20年来の親しいお付き合いをさせてもらっている東京画廊のエース、もの派の李禹煥の関係項という作品です。
世界的な画家です。