こんにちは。
札幌在住のパステル画家・デジタルアーティストの横田昌彦です。
札幌はここ数日で急に涼しくなりました。
そのなり具合が急激で、スポーツ自転車が趣味の私としては、冬が来るのが昔と同じだと少しがっかりです。
でも、地球環境のことを思えばその方がホッとするのですが。
さて、先月の8月6日から8日まで、美術の用件で東京を訪問しました。
今回の東京出張ですが、8月6日にまず念願だった20世紀パリ画壇でピカソと並び称されたマチスの大回顧展を上野の東京都立美術館で観て来ました。
次の日に、もう24年間、親しくしていただている日本で最初の現代美術画廊であり、今や国際的なアートシーンでタカイシイギャラリーとともに日本No1ギャラリーとしての地位を確立した東京画廊の2代目、山本豊津代表と約1時間半、画廊が定休日なのにも関わらず、私のためにわざわざお時間を取っていただき色々とお話させていただきました。
今回は私のアート紹介のホームページやネットショップに関する資料をお持ちして色々とアドバイスを受け、さらにこちらからネットでの美術作品販売ノウハウの資料をご提供させていただきました。
今回はその対談内容をご紹介したいと思います。
横田君が村上隆に匹敵する画家なのは本当のことだから全てホームページなどに掲載していいよ!
上京した時に、新宿の画材店、世界堂に行った時に宇多田ヒカルの「Automatic/time will tell」が流れていて。同時にドラゴン・アッシュの「Let yourself go, Let myself go」と「だんご3兄弟」も流れていたので1999年でしょう。
それから、2・3年一度ぐらいのペースでお会いしたので、もう9回位対談させていただいたと思います。
アポを取って上京し会いに行くと、必ず最低1時間半はお時間を取ってお話してくれました。
私が芸大、美大を卒業していないにも関わらず、画廊の契約作家でもないのに、このように休日にもかかわらず私だけのためにお時間を取って会っていただけるのは、やはり日本では私だけのようです。
その国の有名画廊のオーナーともなれば皆さん超多忙ですから。
今回は、前日に観たマチス展についての私の感想を言うと、最初から山本さんと意気投合し、えらく盛り上がり、結果としてこのようなお話となりました。
横田「ホームページに山本さんから伺ったお話を掲載しているが、プライバシーなどの面で問題がないでしょうか?」
この事は以前から年賀状やメールなどで、何か不都合な記載があればすぐに削除させていただきますと伝えてありました。
対談で改めてこのように質問すると山本代表は
山本「横田君が村上隆に匹敵する才能と実力の持主というは本当の事じゃない。
僕がそう言っているとホームページに載せて何が問題なの?
この事も含めて、対談で話したことは、ホームページへの掲載など全て対外的に話して良いよ。
これからホームページに対談で話したことを載せるのなら、
事前に原稿を見せてくれれば、こちらで「ここはこう書くのが正確だな」
という事で添削してあげるから送ってきなさい。」との事でした。
え~~~~っ? 恐れ多くも毎回、添削していただけると。
「今日は定休日のところお時間を作っていただきありがとうございます。」というと。
山本「いやいや、札幌から横田君が来られるのだから、定休日に画廊を開けたのです。
横田君、なぜ定休日に君と一対一で、画廊で会っているのか?
そして、上京するたびになぜ私が必ずあなた会うのか?分かりますか?」
横田「以前、おっしゃったように、会って話してしまったから次からはもう断れないということからですか?」
山本「それは以前の話でしょう。いまは違うよ!
日本の画商で、あなたの実力と才能を正確に見抜ける画商が僕しかいないからだよ。
だから、他の画商ではなく私があなたと会っている。
また、私も会うごとに自分も勉強になる。
あなたほど日本や世界の美術について深く理解していていません。会うごとに自分も勉強になり影響を受け続ける画家は横田君、あなただけだ!
だから、僕は必ず君のために時間をさいて会う事にしているんだ。」
横田「なるほど~~~。」
つまり、東京画廊の山本豊津代表が最も評価する日本人アーティストが、世界アートサーキットのトップランナーの一人である村上隆と私、横田昌彦である。ということです。
それを、どんどん人々に伝えて良いよ。ということです。
それは『契約して売り出す代わりに、山本代表が私にしてあげられることがこれである。』という意味だと私は理解しました。
メルマガにも書きましたが、なぜ東京画廊と私が契約にならないのか。
それは山本さんが言う通り、東京画廊と私の作品の画風が合わないからです。
東京画廊が世界的に評価されている最大の理由が、日本の現代美術の最初の運動である『具体美術運動』とその後に続いた『もの派』を売りだした画廊だからです。
私の画業は、その『もの派』の否定から入って、当時は世界的に低調だった表現スタイルにこだわらない具象絵画を復活させるべきだと主張していったのです。
ですから、私の作風は最初に出会った時に紹介状をもらって会いに行った西村画廊や、その頃からちょうどスタートしたミズマアートギャラリーに近いものです。
どうも、今回の対談で、少し怒りの感情を持って先の発言のように話してくれたのは、他の日本を代表する何軒かの現代美術のギャラリスト(画廊主)に「うちとは画風が合わないけど、非常に優秀な画家がいるから契約して売り出してみませんか?」
と話をしてくれたのではないか?と思うのです。
そのようなことは、山本さんは私には言いませんでしたが。
実は前回お会いした後、山本さんが「私が君の画風と合うと考える〇〇ギャラリーのオーナーに直接契約を打診したら?」と言われ、「一度断られているので山本さんの方から推薦していただけないでしょうか?」とお願いしたからです。
村上隆に奈良美智、世界の大物ギャラリスト(画廊主)は皆知り合い
山本豊津という人が凄いのは、多くのアート関係の著名人と直接知り合ってお付き合いしてきたからです。
「横田君は村上隆に匹敵する画家だ!」という言葉がどれ位凄いのかというと、これが村上隆や奈良美智と会って話たことも無い人が言っているのでなく、非常に親しく交際して来た方がそう断言してくれているからです。
山本さんは、ずっと前から村上隆とは、アートフェア?などで会うと会場で1時間半も話し込んだりして、非常に親しい仲なのです。
村上さんから直接電話で「山本さんGEISAIに来て下さい。」と電話が掛かってきて、弟さんの田畑幸人さんがGEISAIに行って松浦浩之さんをスカウトしたり、つい最近もコラボで展覧会をやったりしているのです。
奈良美智さんについては、彼がドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに留学している時にわざわざ会いに行って、アカデミーのアトリエを訪ねたそうです。
その時、奈良さんは何と抽象画を描いていたそうです。
まず、初代のお父様、山本孝さんが、あの岡本太郎を自宅に食事に誘って一緒に会食して、アトリエにもお父様と訪問した。
武蔵野美術大学の建築学科卒なのですが、受験勉強でのデッサンの家庭教師がアメリカでも成功したボクシングペインティングで有名なアーティストの篠原有司男さん。
在学中は黒川紀章の設計事務所など有名建築家の設計事務所のほぼ全てで建築のアルバイトをしていた。
東京画廊で一柳慧、黛敏郎、高橋悠治、武満徹の4人が、水槽にオタマジャクシを放って、白いギャラリーの壁に投影したオタマジャクシの影を楽譜とみて即興で作曲し、高橋さんが演奏するイベントを行った。
それでお父様に言われて、弟さんと河川敷でオタマジャクシを捕まえて来て、そのイベントを2人で観ていたそうです。
最近では高嶋ちさ子さんのインタビューにも応じています。
また、その美術への博識から日本アート界のキーマン、タモリと称されています。
ですから、これらの歴史に残る人物に数多く接して来て、その人柄、人物、才能、実力を実感してきた人が、もう10年も前に「君は村上隆に匹敵する才能の持ち主だ。
なぜ村上のようにたぎるような野心を燃やさないのか?村上隆にあって君に足りないのはその野心だけだ!」と説教してくれたのです。
プライバシーを尊重し記事を書いています。
山本さんは「対談した事は全て話して良いよ。」とおっしゃいましが、ホームページへの記事掲載でも最初から心がけて来たことですが、当然のことながら守るべきマナーとして、山本代表に限らず、私と対談した方が「誰かのことをこう評価していた。」といった事は一切書きませんし、これからも書きません。
また、お問合せいただいてもお話することはできません。
お会いしてお話して下さった方の迷惑になることは絶対にしたくないのです。