注4

私の作品は確かに西村画廊の方向性に合っていたと思います。
 その後、私が自分の表現スタイルを確立する上、小林孝亘から影響を受けています。
 小林孝亘は対象を、一つのマス=塊として大きく捉え彫刻のようにデッサンするところから影響を受けました。
 彼のデッサンはマチスのような2次元ではなく、3次元的で、それが2次元に囚われていた私を開放してくれました。

それ以降、作品が描き貯まるごとに、作品の写真と美術に関する論文を持って札幌から山本さんに会いに行きました。
 会うと驚くほど会話がはずみ、いつも1時間半など長時間、お話をしてくれました。

 これは芸大も美大も出ていない私のような人間にとっては驚くべき事で、東京の有名画廊主は、美大生や芸大生から毎日何件もの電話が掛かって来るそうです。

 「それに全部応じていたら死んでしまうよ」と山本さんはいっていました。

 結局、今に至るまで東京に行ってこのようにお話をしてくれる画廊主は山本さんだけでした。
 あの村上隆も東京芸大博士課程の時に東京の画廊を100軒以上回って全部取り扱いを断られています。村上隆は東京芸大の美術系で、最初の博士号取得者です。
 それなのに、完全に無視された。
 画家を目指すとはそれ位困難な道なのです。