私に最も資質が似ている画家が印象派時代にモネやルノアールとともに活躍したオディロン・ルドンです。
パステルで描く画家といえば踊り子の画家ドガとルドン。
ルドン以外には私しか、ルドンのようにパステルを日本画の絵具のように使って描く画家はいません。
この絵「バイオレット ハイマンの肖像」は難解ですよね。
ハイマンは処女を表しますが、簡単に言うと「夢見る少女。夢見る夢子さん」といった意味でしょう。
オディロン・ルドンの暗示的芸術という概念を理解するには、この作品は非常によりサンプロとなると思います。
ルドンは著書の『私自身に』でこう語っています。
「暗示的芸術は、物が夢に向かって光を放ち、思想がまたもそこに向かうようなものです。退廃と呼ばれようが、呼ばれまいが、そいうゆものです。
むしろ我々の生の最高の飛翔に向かって成長し、進化する芸術、生を拡大しその最高の支点となること。
必然的な感情の高揚によって精神を指示するのが暗示的芸術です。
このような芸術は、音楽という感情高揚を伴った芸術において、より自由に輝くばかりに完全に見られます。」
「暗示的芸術は、神秘的な影のたわむれと、心理的に考えられた線のリズムの助けを借りなければ何もできません。
ああレオナルドの作品、あれほどその結果を高くあらわしたものはありません。」
「暗示的芸術は、神秘的な影のたわむれと、心理的に考えられた線のリズムの助けを借りなければ何もできません。
ああレオナルドの作品、あれほどその結果を高くあらわしたものはありません。」
(『私自身に』 オディロン・ルドン みすず書房 p26 p28)
ですから、「この作品の意味するところは『詩のない音楽』のように、自由にイマジネーションを働かせて感じ取って下さい。」ということでしょう。
鑑賞者の自由な空想を掻き立てる、意味の余白のある芸術は、優れた芸術の一つの尺度だと思います。
文中の「ものが夢に向かって放射する」とは、「夢で暗い部屋にいるときにものが突然現れ光り輝いて見える」という『ものが放つ魅力、存在感、オーラ」という意味でしょう。
「強い感情の高揚」とは、例えば強い恋愛感情とか、異性に対し感じる魅力、梅原龍三郎が『桜島 青』で絶妙に表現したような人々がそこで生活し生きる情緒・生活感といった感情でしょう。
大胆にいえば「生きる途中で感じるこころと身体の快感・快楽」といって良いと思います。