昨年秋に、もう20年来お付き合いさせていただいている東京画廊の山本豊津代表にお会いした際、「私の作品への批評を書いて頂きたい」とご依頼したところ5月の連休明けに送っていただけました。

 その中には山本さんが作品を評価する際の4つの基準にいついて書かれていました。
 後日、山本さんからお電話がありこの基準について詳しい説明を聞かせて頂きました。

 この4つの基準について、山本さんは最近の若いアーティスト志望の人や学生さんに、常にこのフレームワークを意識して作品を鑑賞し制作するように話しているとの事なで、私の『画面のムーブメントや線の美しさ、音楽性・詩情、思想性』などを重視する評価方法とは大きく異なりますが、大変勉強になり、非常に参考になるお話なので皆さんにご紹介させていただきます。

近代絵画の4つの基準 『装飾 マテリアル コラージュ 抽象』

 
 ◆端的にいって、この4つの基準に照らし合わせて美術作品を見ていくと、今まで見えてこなかった事が忽然と見えてくるようになります

 山本さんは「この4つの基準を意識して自覚的に制作しないものは近代絵画ではない」といいます。

 さらに、「これはアートフェアなどで作品を評価する世界標準のフレームワークであり、ギャラリストなどアート関係者であれば、まずは理解し押さえておくべきものである」といいます。
 「この基準を無視して制作した場合、海外などのアートフェアなどでも作品が売れない」といいます。
 
それは、なぜなのか?それぞれの基準を順を追って見てくなかで考察してみましょう。

 ◆装飾・・・これについては山本さんは『ドメスティックな普遍性』、つまり民族性や国民性を強く意識すべしといいます。

 具体的な例として鮨の世界的なブームを挙げて説明して下さいましたが、欧米では鮨の味を分かってもらうために、まずマヨネーズを載せたカリフォルニアロールのような『鮨のようなもの』を創作してレストランで出した。
 それを見た日本人は「それは鮨ではない」と言った。
 興味を持った欧米人は日本に行って本物の鮨を食べた。そして「なるほど本物の鮨の方か旨い!」と感じた。
 山本さんはこれを「欧米人の味覚が変化したのだ」と言います。

 これを美術に置き換えてみると、国民画家と言われた平山郁夫や梅原龍三郎の作品をいきなり海外に持ち込んで「どうです良いでしょう?」と言っても、なかなか受け入れられるものではないということです。
 禅では不立文字といって『言葉で表せないものを感じ取る事』を重視しますが、ある禅の師匠が「ユダヤ人の弟子がおるが、あいつらが一番わかってない。すぐに「それは説明するとどうなりますか?理論で言うとどうなりますか」と言う。「そうじゃなくて、言葉でなく感じ取るのだ」と言ってもどうしても分かってくれない。」と嘆いていたのもこれです。
 美術においてもカリフォルニアロールのような、ワンクッション置いてというマーケティングセンスが求めらるわけです。
 山本さんは村上隆がアニメを取り入れたのは、すでにアニメが欧米で広く受容されていたからだといいます。
 つまりは、海外で作品を売ろうとするアーティストは彼のような鋭い戦略性・マーケテイングセンスを持つべきだということですね。

 ̻◆マテリアル・・・これは言うまでもなく画面の支持体、使用している画材による絵肌・マチエールですね。山本さんは、「マチエールが画面を支えるための従属的な役割を越えた、キャンバスをナイフで切ったルーチョ・フォンタナから多くを学ばなければいけない」といいます。
 『もの派』の作品やもの派の作家の師だった斎藤義重の木のレリーフ作品は、まさにマテリアルが支持体を越えています。
 そして、その時代にそのようなアーティストはいなかったので、昨今、斎藤義重と『もの派』の作品は世界で高い評価を得て来ました。
 
 ◆コラージュ・・・山本さんは「キュビズムの時代のピカソの作品に見られるコラージュ的手法は近代絵画が発明した画期的な表現であり、同一空間に時間軸が異なるアイテムを持ち込む貴殿のチャレンジは評価できる」といいます。
 コラージュは、単純に切り抜いた写真や画像を画面に貼り付けるだけでなく、異質なものの新たな組み合わせを創造する意味あいもあります。
 つまり、革新=イノベーションの創造です。

 ◆抽象・・・山本さんは「近代社会は交通手段と情報手段が飛躍的発達したため、人類は時間をかけて直接体験することよりも短期的に獲得した間接的な体験によって記憶が構成されることになりました。これによって私たち近代人は抽象的な思考となり、アーティストたちの表現も抽象化したのです」といいます。
 山本さんが呈示する『抽象』の観念は岡崎乾二郎の『抽象の力』という著書に書いている内容とほぼ同じであるといって良いでしょう。
 つまり、近代人は自分の想像や作り上げた抽象的な思想によって物や人と対峙すると考えているのだと思います。

 東京画廊はもの派を売り出した現代美術画廊ですが、『もの派』は想像を交えず『直接もの自体と対峙し感じる』ことを意図した流派です。
 先のルーチョ・フォンタナもそうですが、東京画廊は先代の山本孝さんが元々古美術商であったことからも、陶磁器を鑑賞するように、絵画やアート作品を『もの』として鑑賞する態度を重視してきたと思います。
 山本さんによれば「もの派とは脱欧米である。それは美術において技術をあまり追求せず最小限にしたもの」(注1)だそうです。

なぜもの派は世界的な評価を得たのか

 村上隆や奈良美智らのアニメ世代の作家が世界的な評価を得た事で欧米のアート関係者はアニメ世代以前の日本の現代美術はどういう状況だったのかに興味を持ちました。
 その結果、日本の現代美術の起点となった具体美術運動とそれに続いた『もの派』の作家が世界的に注目されました。

 『もの派』の作品のどこが魅力的なのか?これはもう李禹煥などの作品を直接観るしかないのですが、例えば右画像の『関係項』などの作品は、実際に観てみると(これは院展などの作家が多く使う手法なのですが)岩絵の具の破片がキラっと輝いて綺麗です(以前東京画廊の職員に聴いたところこの黒い正方形は油彩だというのですが)。
 観てすぐに玲瓏(れいろう・・・玉などが、さえたよい音で鳴るさま)というか、鹿脅し(ししおどし 日本庭園で水が貯まったら石を叩いてポーンと音を鳴らす竹)というか、キーンという一音が空間に響くような感覚を覚えます。
 かなり前の美術手帖での『もの派作家の対談』での「物で何かしびれるようなものを作りたかった」という発言や、吉田克郎の「物というとき、それはある種の認識と感動とを僕の意識内に取り込めるものである」(注2)という発言が、『もの派』の作家の作品を純粋に説明していると思います。
 2012年春この2人の作品取り扱いギャラリーであるブラム&ポーが吉竹美香のキュレーションで『もの派』の企画展『太陽へのレクイエム:もの派の美術』が開催されたことから、『もの派』は欧米で一気に高い評価を得ます。
 もの派の代表的な作家、李禹煥は村上隆に続いて2014年ベルサイユ宮殿で大規模な展覧会を開催します。

 このような高い評価を得た理由の一つに、日本の現代美術が欧米の現代美術とは別な独自の美術運動を展開した事にあります。

 それにしても、なぜここまで『もの派』の作家が注目されたのか?
 それを、この4つの基準で検証してみましょう。

 まず、もの派の作家は作品の支持体としての役割を越えた『もの自体』を直に提示します。
 このような美術作品は世界でも『もの派』以外にはありそうで見当たりません。

 山本豊津さんがいうように、近代人は『もの』そのもの、目の前の『人・動物』そのものを体験するのではなく、想像や作り上げた思想・信条・観念によってものや人に接しがちだと思います。
 例として、今物議を醸しだしているトロフィー・ハンターの事件を取り上げてみます。
 
 

トロフィー・ハンターは目の前の動物を見ていない

トロフィーハンターの写真  トロフィー・ハンターとはアメリカなどの富裕な白人がアフリカで狩猟の権利金を払って、動物を殺生する行為です。
 ライフルなどで殺生した動物と一緒に誇らしげに写真を撮って公表したり、殺生した動物をはく製にして自宅の居間に飾ったりしています。

 トロフィー・ハンターの事が世界的に問題視されるきっかけを作ったのが、アメリカの歯科医ウォルター・パルマーによる、ジンバブエの、珍しい黒いたてがみの世界で最も有名な雄ライオン、セシルの殺害です。
 詳細はこちらをご覧ください。

 「白人やエスキモーは狩猟民族なのでハンティングがストレス発散になる」と、昔、日本史の専門書で読んだ事がありますが、それにしても日本人の私にはなぜ殺すのか、どうにも理解出来ないでいました。

 それが、今回ようやく分かったように思います。
 私が高校教諭のだった時、同僚の40歳代の理科の教員が狩猟が趣味で、ウサギやシカの狩猟をしていました。
 「狩猟をする気持ちを、人に分かってもらおうとは思わない」と言っていましたが、ウサギなどを追い詰めてた時、動物は体力の限界を悟った時走るのを止め、振り返り銃を構えて頭を打ちぬこうとする猟師を、じっと凝視して来るのだそうです。
 自分の最後を悟ったような、そして「お前はなぜ無駄な殺生をするのか」という強い抗議の意志を込めた目だそうです。
 その時その彼は打つのを止めて立ち去るのだそうです。
 

なぜ北海道の猟師はウサギを打たないのか?

 それは『ウサギそのもの』、ウサギのいさぎよさ、ウサギの目、ウサギの抗議、を見たからではないでしょうか?

 しかし、歯科医ウォルター・パルマーはライオンを追い詰めてなおライオンを見れない。ライオンを目の前にして日頃の空想のライオン狩猟物語を見ているのではないでしょう?

 恐らくトロフィー・ハンターは強い仕事のストレスの中で昔の狩猟民族であった頃の狩猟の夢を日々めぐらしているのではないでしょうか?
 夢や空想の出来事を実行し自分の攻撃性、生命力の発露を実感し自然と繋がっているという実感、野生を取り戻したいのでしょう。
 
 これは、相手の痛みを何ら思いやれないという点で精神病質者(サイコパス)と似ていますし、実際精神病なのでしょう。

 この写真は、正にその病態を象徴していると思います。

 『もの派』は欧米の白人に、この『空想・想像・観念ではなくものそのもの、人間や生き物そのもの』を見る事を要求する。

 そこに彼らの病気を癒す契機を見出したのではないか?

 それゆえに『もの派』は近年急激に高い評価を得たのではと推測します。

(注1)「アートは資本主義の行方を予言する」 山本豊津著 PHP新書 p101

(注1)美術手帖 1995年5月号 『戦後50年 写真で見る日本の現代美術』 p260

 

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